私説
アーカイヴス TOPへ 砂漠に水 私説 生きる!技術 ビジ・ハドな一言 全国甘党

« 小さな誤差が大きな利益 | メイン | あなたが選ばれたその理由 »

ポルノとゲージツのその違い


昨年、日本経済新聞の連載で話題になった小説『愛の流刑地』が、
最近、映画となって全国で公開されている。

原作は渡辺淳一だが、内容はほとんど官能小説だ。
ま、なんでもいいんだが、文学と卑猥の境目が分からない。

私は当時、朝の熱い珈琲を飲みながら、
家族の目を盗んでは薄目で読んだものだ。

ま、それなりに楽しませてはもらったが、
その当時も今も思うのは、これ変態小説か?ということだ。

手を縛ってとかいつもと違う体位がどうのこうのとか、
目覚めたばかりで読む活字としては結構、ヘヴィだった。

そこで思うのは、ポルノとゲージツはどこがどう違うかだ。
ハッキリ言って手を縛るだけなら団鬼六の方がズッと上だ。

それにテレビだとNGだが、映画だと芸術として評価されるものが多いんだ。
それが私にはまったく分からない。

私はこれまでに数多くの映画を観てきたが、テレビドラマ以下の作品は腐るほどある。
どうして映画だと芸術とか文化になって、テレビだと低俗とけなされるのかが分からない。

なんども言うが、渡辺淳一のあの作品は変態小説としか私には思えない。
どこがどうゲージツなのか、うぶな私にはサッパリ分からない。

ま、それなりに楽しめるから別にいいんだけどね。
でも、緊縛卍責めの団鬼六もそれなりに評価してやれ。あれはあれで素晴らしいんだ。

思うに、最初に属したカテゴリの違いなんだろうね。
小説というカテゴリに属した渡辺淳一は、どんな卑猥なものを書いても小説なんだ。

最初にピンク映画の脚本を書いた団鬼六は、どんな素晴らしい性描写をしても、
そっち系としかきっと評価をされないんだ。

ミロのヴィーナスやミケランジェロのダビデ像を見て興奮する奴はそうはいないと思うが、
あれらは立派な彫刻というカテゴリに属すから高く評価されるんだ。

最初にいいレッテルを貼ってもらえた人間は、ズッとそのレッテルの下で暮らし続け、
最初に悪いレッテルを貼られた人間は、死ぬまでそのレッテルと共に生きなければばらない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.sugiyama-hiromichi-archives.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1284



コメント

私の叔父が、自分の部屋にモデルを呼んで裸婦を描いていたので、一緒に暮らしてる祖母は嫌がってました。
叔父は「エロじゃない」と言ってましたが、私にはよく分かりません。
杉山さんも絵の才能を生かして裸婦を描いてください。

時々○○コレクションの展覧会がありますよね。どこの貴族のコレクションだったかなあ、忘れちゃいましたが、その方はロココ風のふくよかな女性裸婦像を好んで集めていらっしゃいました。そこらへんが、その方の許された範囲だったようですが、これを私たちはゲージツだと思って、美術館で高い入場料払って、まじめな顔してみるのよね。プフッ。

コメントを投稿

(コメントは管理者が承認するまでは表示されません。しばし待たれよ!)

完全日刊@カレンダー

ビジネスにも大いに使える さばくにみず

バックナンバー

ATOM RSS
Powered by Movable Type 3.2-ja-2
assisted by 近代図案
アーカイヴス TOPへ 砂漠に水 私説 生きる!技術 ビジ・ハドな一言 全国甘党
(c) copyright sugiyama-hiromichi-archives.com all rights reserved.