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2007年02月28日

テレマーケティングという暴力


今日だけで3件あった。
それは、電話を使った売り込みだ。

いい加減、勘弁して欲しいと真剣に思う。
毎日とは言わないまでも、多いときには日に4~5件も掛かってくるんだ。

学習塾の勧誘、健康食品の売り込みなど実にさまざまだ。
あれは、紛れもなく暴力だと私は思う。若しくは強盗だ。

特に今日は、月末でただでさえ時間がないというのに、
仕事とはいえ、向こうは平気で電話を掛けてくるんだ。

第一、そんな仕事のやり方があること自体、おかしいと思う。
私は、せっかく気が乗ってスムーズに仕事が進んでいるときに、

たった1本のくだらない電話が仕事の流れを寸断してしまうんだ。
たった数十秒の思考の寸断でも、また元のペースに戻すのに数時間もかかるんだ。

本当に暴力としか思えないんだ。
変な宗教の勧誘は、まだ立派だ。

わざわざこっちの自宅にまで訪問するからだ。
雨の日には傘を差して、暑い日には汗を流して。

それに比べて、電話の勧誘や売り込みは、快適なオフィスから邪魔を仕掛けて来るんだ。
テレマーケティングとかという横文字を使えば、かっこうだけはよく感じられるが、

相手の時間と仕事や生活のリズムを奪う強盗と同じなんだ。
その行為自体は、殴る蹴るの暴力となんら変わらないんだ。

今日は、月末で時間がなかったために黙って切ったが、
いつもの私は、一方的な勧誘の電話があったときには、

「そのフロアーで一番偉い奴を出せ!」と必ず怒鳴る。
そんな理不尽な違法まがいの仕事をさせる上司を呼び出すんだ。

これは、役所に行ったときにもよくやる手だが、
奴らは、なにを言われても平然と笑っているが、

上司を、しかも、そのフロアーで一番偉い奴と聴いた途端に、焦る。
サラリーマンを脅すのは、至極簡単だ。上を炙り出せばいいだけだ。

ま、私が限りなくヒマなときに掛けてもらうなら大いに歓迎するが、
とにかく人に迷惑をかけるようなつまらん仕事なら、辞めるこった。

受話器から聴こえる声が震えているんだ。それが、とっても痛々しいんだ。



2007年02月27日

物質的な豊かさを望む多くのバカ野郎


地下鉄などの交通のインフラが整っていないここ岐阜では、
一家に2台以上の車を持つことは、当たり前となっている。

しかし、我が家では、2台あるうちの1台を処分した。
それによって困ったことなど、なに一つない。

それどころか、ガソリン代や車検代は当然の如く激減したが、
もっと影響があったのは、無駄な時間を過ごすことがなくなったことだ。

車が目の前にあれば、欲しくもないものを買いに行ったり、
食べたくもないのに遠くの料理屋までフラッと出かけてしまうんだ。

まったく必要がないのにね。本当にそれが必要ならば、タクシーを呼ぶはずだ。
しかし、そうまでして買い物に行ったり、料理屋まではだれも行かないはずだ。

だから、必要のないものに手を出してしまうんだ。

今、薄型テレビが売れている。
一家に2台以上のペースで売れている。

リビングにあるから、今度は寝室に、
子どもの部屋に、キッチンにもお風呂の壁にも。

バカか。バカばっかだ。
私は、車とケータイとテレビは手放したいと思っているんだ。

今すぐにできなくとも、いつかはそうしたいと以前から思っていたんだ。
それは、自分が生きていく上での、必要ではないトップ3だからなんだ。

今でも、我が家ではほとんどテレビを観ない。
娘たちも、ほとんど見ない。なぜなら自分の大切な時間を失うからだ。

せいぜいあったところで家族が集まるリビングに1台もあれば、絶対に十分だ。
それなのに、寝室にだとか子どもの部屋に置くだとか、まったくバカばっかだ。

自分の時間を失うということは、
家族で向き合う時間も失うということだ。

物質的な豊かさが、本当の豊かさを蝕む典型的な例だと私は思った。
自分だけの限りある貴重な時間を、くだらないテレビになど奪われたくはない。



2007年02月26日

阪神ドラゴンズにファンはいない


大阪を拠点とする大丸と名古屋を拠点とする松坂屋が、
販売力の強化という名目で経営統合を検討しているらしい。

しかし、双方ともそれをまだ認めてはいない。

業界4位の大丸と業界8位の松坂屋が統合すれば、
売上高は、高島屋を抜いて国内最大の百貨店となる。

ま、企業の生き残りをかけた一般的なやり方であるとは思うが、
なんとなく寂しい気もする。だれの百貨店なのかということだ。

私は、最近まで大丸の本社が大阪にあるとは知らなかった。
大丸は、東京駅にある百貨店としか私は思っていなかった。

しかし、松坂屋は、名古屋近辺に住んでいる者ならだれでも知っている老舗なんだ。
愛着があるかどうかを問うレベルでさえもないくらいの、当たり前の存在なんだ。

その両者が統合するということは、
阪神と中日が合併するようなものなんだ。

たとえ、資本や物流の効率化を図る部分だけを統合するにしても、
今までのブランド名を存続させたところで、絶対に違和感は否めない。

阪神や中日やヤクルトが一つに合併して大きくなって、
高島屋という巨人に挑んだところで興ざめするだけだ。

地元の人々が支えているからこそ、大きな都市型百貨店が存続するのだと私は思う。
単に全国レベルで大きくなったところで、地元との縁が薄くなったら、だれも買わない。

単に大きいことは、決していいことではあり得ない。
小さくても強いことが、生き残る最大の個性なんだ。



2007年02月25日

高飛車な週休3日制


育児や介護に時間を費やせるようにと週休3日制を推進するらしい。
国は、それが家庭生活と仕事を両立できることだと思っているんだ。

ま、それ以外のいろんな策も含めて「労働ビッグバン」と呼んでいるそうだが、
なんでもかんでも「ビッグバン」をつけるネーミング自体に策も能も感じられない。

一週間の内で3日間も会社が休みになったら一体、
世の中の人々はなにをするのだろうか?と私は考えた。

思うに、きっと副業をみんな探すと私は確信する。
素直にご自宅でご家族と戯れる奴はまずいないんだ。

一週間の内で4日間を本業に当てて、
残りの3日間をアルバイトに当てると思う。

そうでなくとも、3日間も休みがあったら、
残業が増えてかえって健康を害してしまう。

それに一番肝心なことは、家族を心から大切にする奴なら、
どんなに忙しくても子どもたちとふれあう時間は必ず作る。

日頃からふれあう時間を設けないバカ親父は、週に3日も休みがあったら、
せいぜいパチンコや競馬に出掛けてお金と時間を浪費するのがオチなんだ。

相変わらず上の方の人間は、下の方の生活を分かっちゃいない。
食えないんだ。みんな食えないから働かなければならないんだ。

週に3日も、のほほんと日向ぼっこをしている悠長なサラリーマンなど、まずいない。
いるとしたら中年だ。そう、子育てをしたくても子どもから見向きもされない中年だ。

次から次へと新しい政策としていろんな提案が出されたりはするものの、
すべてはある一定以上の者しか恩恵が得られないものばかりだと思う。

しかも、その一定以上のレベルのラインが結構、高いんだ。
いかに普通の人々の生活レベルを把握していないかが、これでよく分かるんだ。

善意のつもりで成された行為のほとんどが、悪意の行為となんら変わらないんだ。
それは高飛車といって、上から押えつけているからだ。改善は、下からでしか成し得ない。



2007年02月24日

最良の後手より改良の一手


新生児を育てられない親が、自分の赤ん坊を預けられる場所ができるそうだ。
それを「赤ちゃんポスト」と呼ぶらしい。

熊本の病院がそれを計画したことについて、
内から外から賛否が分かれたそうだ。

安部首相までもが、「大変抵抗を感じる」と述べた。
ま、そんなことは当然だ。普通の人間なら、だれでも抵抗は感じるんだ。

しかし、ないよりはあった方がいいに決まっているんだ。
実際に我が子を育てられない未熟な親がいることは事実だ。

だから、無理心中をしたり、生後間もない我が子に手をかけてしまうんだ。
面と向かってだれかに預けることができない奴だから、こうなってしまうんだ。

それを鑑みれば、「赤ちゃんポスト」は素晴らしいとは言えないまでも、
そこそこ画期的な取り組みだとは素直に思う。

疎い世間や安い政界の連中が躍起になって否定しているのは、
仕組みじゃなくて「ポスト」という呼称に違和感を感じているだけなんだ。

本末転倒だとしか言いようがない。
それに今回のことで強く思ったことは、

みんな最良(ベスト)を望んだり期待するから、なにも先に進まず改善されないんだ。
今までなかったんだから、最良ではなく改良(ベター)でまったく十分なんだと思う。

なんでもそうだが、みんな一番よい手を考え過ぎるために、
せっかくのチャンスに打つタイミングを失ってしまうんだ。

いくら考えたところで、一番よい手など絶対にない。
あるとすれば今、打った手が一番よい手なんだ。

最良を望んだり期待することは、なにもしないこととまったく同じなんだ。
まずは、改良の一手をサッサと売ってしまうことが最良への一番の近道なんだ。



2007年02月23日

右へ倣えで保険に入る生きる屍


平成18年度の確定申告書を税務署に提出した。
毎年のことながら、数百枚の領収書を添付した。

その中に保険の控除証明書があった。
生命保険や損害保険の控除証明書だ。

ちょっと前から気になっていたので今日、決めた。
すべてを解約する。

自動車と火災に関する損害保険以外はすべて解約する。
生命保険や積立の傷害保険などは一切、解約する。

自動車と火災に関する保険は、第三者へ賠償するという役割りが大きいので、
そのまま続けるが、私が死んだ場合に出る保険はまったくなんの意味もない。

万が一、私が死んだら住宅ローンがチャラになる団信だけには入らされているので、
それだけで十分だ。

そもそもなんでもかんでも保険に入る必要なんてまったくないんだ。
日本人は、律儀ゆえに自分の命を担保にすることが大好きなんだ。

それをしなきゃいけない場合は、借金があるときだけだ。
万が一のときに借金が返済できない場合に限って保険に入ればいい。

それ以外で保険に入ったところで、もめごとを発生させるだけだ。
だから、生きている内に決着できない人間だけが入ればいいんだ。

言ってみれば、そいつも本当に情けない奴なんだ。
死んでチャラにする訳だから。やり逃げと一緒だ。

お決まりの人生設計書を武器に保険商品を売りに来るスーツ姿の奴がいるが、
死んでチャラにするのが自分の人生の末路だったら、そいつは悲しかろうに。

私は、保険に入らなくてもいい人生が一番だとつくづく思った。だから、止めるんだ。
どうせ「入院保険は大切でしょ?」と言ってくるバカがいると思うが、それも同じだ。

とにかく生きている自分自身で決着できないってことが、私には耐えられないんだ。
死んでチャラにしたところで、やらなきゃいけないことは絶対になくならないんだ。



2007年02月22日

情けない連中よ、もっと頑張れよ!


相も変わらずイジメが多いようだ。
でもそれは、子どもではなく大人の世界のね。

100人の産業カウンセラーによるアンケート調査の結果がネットに公開されていたが、
まぁ、どれも大したイジメではないような気もする。

その内容は、職場でのセクシュアル・パワーハラスメントや人間関係のつまらぬ対立、
能力が低いと上司から罵られたり、販売のノルマが達成できなくてイジメられるそうだ。

なんとも情けないとしか言いようがない。
それは、間違ってもイジメなんかじゃない。

普通の社会生活だと私は思う。今は、イジメられたと思った時点で、
どんな些細なことであってもイジメが成立してしまうシステムなんだ。

ま、軟弱という一言で片付けてしまえばそれまでだが、
もっと頑張れよ!とイジメられたと自己申告する奴の尻を蹴り飛ばしたくなる。

随分と昔でも同じようなことは日常茶飯事レベルであったんだ。
平成に世になってから、それは始まった訳なんかじゃないんだ。

と言うことは、情けない奴らが増えたとしか説明のしようがないんだ。
ま、たしかに、本当の意味でのイジメもあるだろうが、それは少ないはずだ。

モノを盗む奴が悪いに決まっているが、
モノを簡単に盗まれる奴もそれなりに悪い。

絶対にイジメる奴が悪いに決まっているが、
簡単にイジメられる奴もそれなりに悪い。

第一、それは本当にイジメなのかどうかも分かったもんじゃない。
世の中からイジメる奴がいなくなることは絶対にあり得ないんだ。

とすると、善いか悪いかの問題ではなく、
イジメられる奴が生きていくためには強くなるしかないんだ。

だって、絶対にイジメる奴はいなくならないんだから。
それに私は、イジメられる奴の方が100%悪いと思っている。

自分で決着を付けられないなら生きていても辛いだろ、とさえ思う。
アフリカのサバンナのど真ん中なら、とっくに食われているはずだ。

法治国家では、理不尽な行為を解決できないということは絶対にない。
解決できないとしたら、それが理不尽な行為ではないということなんだ。

情けない連中よ、もっと頑張れよ!



2007年02月21日

人間本来の清貧に生きる


日銀の政策金利が、8年半ぶりに年0・5%となった。
そして、サラリーマンの貯蓄率が8年ぶりに上昇した。

これだけを聴いていると、随分と世の中の景気がよくなったような錯覚を起こすんだ。
しかし、実際には、柳ヶ瀬商店街は相変わらずシャッター街のままだし、活気もない。

なにをもって世の中の景気が回復したとされるのかは別にして、
取り立てて景気がよくなることに期待せず、今のままでもいいような気もする。

政府や日銀の限られた人間たちが作った小数点以下の数値に、
一喜一憂させられることに、もう飽き飽きしているんだ。

それに年収が300万円以下でも、食って行けさえすればそれでいいんだ。
それは、貧しいということではない。決して貧乏ということではないんだ。

腐った地位や見栄だけの名誉に惑わされることもなく、
お金に縁遠い生活を愉しむ本来の姿を清貧と呼ぶんだ。

お金があっても貧しい奴は、腐るほどいるんだ。
お金がなくても人生を愉しんでいる奴は、たくさんいるんだ。

柳ヶ瀬商店街とはまったく無縁な大都市のごく一部にしか通用しないデータなど、
小さな商店や手取りが20万円以下のサラリーマンたちを錯覚させるための道具なんだ。

国家レベルで、なにもできない弱い者をあおっているだけなんだ。
目先の金利や歪んだ情報に左右させられては絶対にダメなんだ。

自分自身が清貧であれば、なにものにも左右されることなく、
なにを気にかけることもなく、人生を愉しむことが必ずできる。

貧乏は絶対によくないことだ。しかし、それはお金が足りないことじゃないんだ。
そうではなくて、お金をちょっと遠くに感じる生活が人生を愉しむには丁度いいんだ。

それを清貧と呼ぶんだ。



2007年02月20日

かっこ悪い大人の世界


この春から高校に入る私の上の娘は、
中学1年から3年間、パソコン部に所属していた。

中学1年のときには、パソコンの使い方を顧問の先生から丁寧に教えてもらった。
その先生は、パソコンが得意でとっても分かりやすく初心者に教えてくれたんだ。

しかし、翌年にはその先生が他の学校へと異動してしまった。
すると、パソコンを教えることができる先生が、そこにはいなくなってしまった。

そこで能がない中学校が取った手段は、
生徒の親の中でパソコンができる人材を探した。

スズメの涙のような安い金額で、
生徒たちに教えて欲しいと懇願した。

バカか。
本当に悲しくなった。

まったくの素人である生徒たちが、0から学ぼうとしているときに、
それを教えるべき立場の人間が、知らないからと逃げてどうするんだ。

できなかったら一緒に学べばいいだろ。
それを最初から、まったくやろうともしないその姿が醜いんだ。

小学校でも中学校でも、パソコンをまったく使えない先生はとっても多いんだ。
現代の文盲としか言いようがない。要は、読み書きができないのと同じことだ。

おかげで私の上の娘は、部活の時間はネットで遊んでいるだけだった。
本来はエクセルやワード、その他、効果的な使い方などを学ぶ時間だったのに。

先生は所詮、元々はバカなので、パソコンなんてできなくてもいいんだ。
できないからこそ、それに挑戦する姿を生徒たちに見せて欲しかった。

まったく教えてもらえない生徒たちが、パソコンを覚えられないという悪よりも、
人に押し付けて逃げ回る大人たちの背中を見ていることの方が、教育に悪いと私は思う。



2007年02月19日

「過剰」は「質素」に絶対に勝てない


南太平洋にツバルという人口約1万人が住む小さな国がある。
首都フナフティでは、住民の多くが海外への移住を考え始めている。

道路の隙間からは、地球の温暖化のために海水が湧き出している。
海水は、海岸を越えてくるだけでなく、地面の穴からも地上に溢れ出している。

これは、他の先進国が排出した二酸化炭素が原因で、
南太平洋に浮かぶ小さな楽園が消えてしまう現実なんだ。

ツバルの国民は、過剰な二酸化炭素など決して排出をしていない。
それなのに、自分たちの国が消えるという現実に直面しているんだ。

自分勝手な第三者のために。
私は、暖冬で過ごしやすかったと思っていたが、

このようなニュースを観ると、つくづく「過剰」のバカバカしさを痛感するんだ。
すべてにおいて至上主義で、現状に満足することなく過剰に上を望むバカバカしさだ。

一つの国が亡くなってしまう恐ろしい現実を知りながらも、
さらに発展を推進されようとする世界レベルのバカバカしさだ。

正直、戦争よりも悲惨だと私は思う。
自分たちさえ豊かになればいいというのは、殺人鬼と同じだ。

改めて自分の「分」に生きるという質素な生活が素晴らしいと思った。
万人が自分の「分」の中で満足すれば、なにも問題は起こらないんだ。

そして、地球も人間も一つの国も滅びることはないと心から思った。
私は、「過剰」は「質素」に絶対に勝てないと本気で思った。



2007年02月18日

3つの種類 ~劣る在来種


生物を3つに分類すると「在来種」と「外来種」と「雑種」となる。

在来種とは、元々そこに居座っていたものだ。
外来種とは、他所からやってきたものだ。
最後に雑種とは、在来種と外来種の間に誕生したものだ。

その3つしかない。

どうも日本人は在来種への思いが、異常に強いように私は感じる。
ま、ほぼ単一民族の国家なので、アメリカのような多民族国家とは当然、異なる。

毎年、環境省が発表するレッドデータブックの「絶滅の恐れがある種」が増えるたびに、
みんなで一生懸命に騒いでいるんだ。

別に外来種が増えても雑種が増えてもいいじゃないかと純粋に私は思う。
そして今、確実に少子化なので、数十年後の国内の労働力は間違いなく弱体化する。

すると海外からの労働力の輸入に頼らざるを得ない状態となるはずだ。
要は、外国人の労働者だ。

すると日本人と外国人との結婚も当然のように増えるはずだ。
しかし、なんだかそれ自体が、悪いことのように思われている気がするんだ。

レッドデータブックの発表のたびにね。

非常に不謹慎で不適切だとは思うが、日本国内においては、日本人が在来種で、
外国人が外来種で、その間に誕生したのが雑種と思われているような気がするんだ。

当然、そんなはずもないが、日本人の在来種への偏愛ぶりを肌で感じるたびに、
そう思わざるを得ない自分を確認するんだ。そして、みんなそう思っているはずだ。

私は、これっぽっちも思っちゃいない。
元々、人間なんてサルから毛を抜いただけだと思っているので、

国境をまたいだだけで、なにかの差異を設けることに確実に疑問を感じる。
たしかに、生まれ育った環境が異なれば、多くの相違点は必ずあるが、

それは、習慣だ。それなのに、十把一絡げのように、
それを外来種と位置づけるのはいただけないと思う。

それに最近では、外来種よりも在来種の方がいろんな面で劣っているんだ。
本当に在来種が優秀ならば、なにがあっても種の保存は必ずできるはずだ。



2007年02月17日

なにがあっても自分本位で生きる


自ら命を絶つことは、なにがあっても絶対に許されないことだと私は思う。
しかし、自ら命を絶とうとする人間が私の目の前に現れたとしても、

私は絶対に止めはしない。止めたところで、また繰り返すからだ。
正直、そんな人間に付き合っている暇はない。

止めるとすれば、私の娘たちだけだ。
それ以外に止めることは、絶対にあり得ない。

先日、東京の交番勤務の警官が電車にはねられて亡くなった。
自殺をするために線路に入った女性を助けようとして亡くなった。

当の女性本人は、大けがをしたものの命は助かった。助かってしまった。
亡くなった警官は、30分前に線路に入ったこの女性を保護したのだが、

交番から逃げられ追いかけた結果、こうなってしまった。
本当に、非常に痛ましいとしか言いようがない事件だ。

葬儀の席で奥さんが「立派な人だった」と述べた。
たしかに、間違いなく立派な警官だとは私も思う。

でも、それは警官という仕事の上での功績について、とっても立派だと思うんだ。
本当に語弊があるとは思うのだが、人間として立派だとは決して私は思わない。

私だったら、絶対に助けはしない。
きっと周囲からは非難を浴びて、職を失うかも知れない。

でも、死んだら終わりだ。
間違いなく終わりだ。

川で溺れている子どもを助けない、助けられない大人たちが非難されるケースがあるが、
他人の子どもの犠牲になることを強いる世間の方が間違っていると私は思う。

川に飛び込めば、子どもは助かって大人も無事に川から出られるかも知れないが、
その保証はない。どちらかが助からないかも知れないし、どちらも助からないかも知れない。

例え、溺れているのが愛しい我が子であったとしても、
それがどんな状況でも川に飛び込めばいいというのは間違いだと思う。

川に飛び込むのが勇気ならば、
川に飛び込まないのも勇気だと私は思う。

本当に語弊があるとは思うが、
なにがあっても自分本位で生きることが正解だと思う。

それぞれが、その前提で生きてさえいれば、
立派な仕事と立派な人生の選択は、それぞれができる。

だから、選んだ結果に世間が文句を言うことは絶対に許されない。
その警官は間違いなく立派だが、死んだら終わりだとも私は思った。



2007年02月16日

頑張った民主党の偽善行為


そろそろ確定申告書の〆に入るところだ。
毎月末には、大量の領収書を会計王に打ち込んでいるんだ。

しかし、それは私の妻がやっている。
当然のことだが、領収書がなければ経費とは認められないんだ。

一般の人はね。でも、お偉い政治家さんは違うそうだ。
民主党は、1万円を超えるものについて領収書の添付を義務付けたそうだ。

もっと細かい取り決めがあるものの、
大まかに言えばそういうことらしい。

驚くべきことは、現行法では、5万円以上の支出について領収書が義務付けられている。
私は、名古屋までのJRの450円の切符代でも、しっかりと領収書綴りに貼っているんだ。

しかし、それは私の妻がやっている。
領収書を添付する条件が、5万円以上だけでOKならば、

きっと30万円の支出でも、7回に分割して支払っているはずだ。
すると領収書は必要なくなるんだ。100%そうしているに違いないんだ。

私でも、絶対にそうしているはずだ。
合法じゃないけれど、違法でもないからね。

国民の生活を身に沁みて感じたいならば、
すべての支出には領収書を添付すべきなんだ。

5万円でも1万円でも、まったく同じことだと私は思う。
むしろ1万円とした行為が、偽善としか一般の人の目には映らないんだ。

自民党をはじめとする与党が、5万円の現行法しか認めないならば、
民主党は、1万円ではなくて、すべての支出に領収書を添付すると決めるべきなんだ。

そこが民主党がバカで、いつまで経っても政権を握れないダメ政党の所以なんだ。
5万円を1万円にする程度なら、まだ5万円のままの方が民主党員には都合がいいはずだ。

いかに政治家の感覚が、国民のそれとは大きくかけ離れているかを、
今回の民主党の決定事項を知って改めて私は痛感した。

まだ5万円のままの方が、きっと救われた気がしたのに。



2007年02月15日

一度と1回


一度の人生とは言うが、
1回の人生とはだれも言わない。

一度という言葉は、回数だけでなく、その長さと深さも含んでいると私は思うが、
1回という言葉は、単なる回数だけを表すときに使う言葉だといつも私は思っている。

だから、私は一度の「一」は漢数字を使うが、
1回の「1」はアラビア数字を使っているんだ。

以前、【目と瞳】という話をしたことがあるが、
それらは、単にものを見るという機能だけではなくて、

目と瞳という言葉を使い分けるその感性が大切だと思うんだ。
私は、そういう感性を持った人間としか付き合いたくはない。

一度と1回という言葉を、まるで同義語で使ったり、
1回は一回の間違いだと、なにも考えずに言い放つ奴等とは付き合いたくはない。

国語の教科書の中に生きている訳ではないんだから、枠にはまった小さな奴等は、
もっと自分勝手な感性を磨いて、発想が豊かな人間になって欲しいものだと私は思う。



2007年02月14日

3年以上前の歴史は全部ウソ


納豆だけではなくて、捏造なんて日常茶飯事なんだ。
美女として有名な古代エジプトの女王クレオパトラだが、

2000年前の銀貨に描かれた彼女の顔を観ると、とても美女とは言えないらしい。
そこに描かれていたクレオパトラの顔は、とがったあごに薄い唇で鼻も鋭角らしい。

今までの私が抱くイメージとは、まるで異なる容姿だ。
私には映画『クレオパトラ』で主演したエリザベス・テーラーのイメージしかない。

しかし、紀元前に生きたクレオパトラに責任はない。
ローマの作家やその周囲の人間たちが、勝手に美化しただけなんだ。

でも、ひょっとしたら、やっぱり絶世の美女かも知れない。どっちにしても今、
この世に存在する人間で、クレオパトラを見たことのある奴は絶対にいない。

それなのに美女とかそうではないとか論争すること自体が、滑稽なんだ。
多くの人間たちは、実際以上に美化したり勝手に悪者にしたりするんだ。

一度も会ったことがないのにね。
あの坂本竜馬だって同じことだ。

坂本竜馬は、今でも多くのサラリーマンにとって、偉大なヒーローなんだ。
しかし、『竜馬が行く』は司馬遼太郎が勝手にイメージして書いた小説でしかない。

だれ一人、会ったこともないのに、よくあれだけ鮮明に捏造できるものだと私は感心する。
会ったこともない人間を尊敬したり崇めるなんて愚行は、私にはまったくできない。

クレオパトラも坂本竜馬も、大した人間ではないかも知れないんだ。
だって、あの世のことは、絶対にこの世のだれにも分からないんだ。

そして、ほとんどは、今回のように歴史レベルで捏造されているんだ。
本当にどうでもいい話だ。

とっくに死んで、もうこの世にはいない人間に憧れるヒマがあったら、
さっきから隣で呼吸している奴に目を向けた方がまだマシだ。

歴史なんてだれも見たことのない虚構の世界なんだ。
振り返ってもいいが、3年以上前のことは忘れることだ。



2007年02月13日

物理的に燃える団塊の世代


風呂のスイッチも入れたことがなければ、
三文判がどこにあるのかも私は知らない。

当然、洗濯機など回したこともなければ、
炊飯器の使い方などまったく分からない。

だから、今のままでは私は、一人では生きてはいけないんだ。自信を持って言えるんだ。
ローソンで弁当は買えるが、デニーズでは一人で食べることができないんだ。

自分で言うのもなんだが、特別天然記念物並みに厄介な男だと思う。
しかし、そんなところが可愛くてたまらないと自分では勝手に思っているんだ。

団塊の世代を中心とした55~59歳の男性たちが、
自宅の火災で死亡するケースが全国で増えている。

被害者は、無職とか一人暮らしの男性の占める割合が、かなり多いらしい。
きっとリストラや早期退職後に家族と別れて暮らしている男性が多いんだ。

そんな生活故に、身の回りの整理整頓もしていない汚い部屋で、
寝タバコや深酒で酔いつぶれたときに火が出るらしいんだ。

当然、だれも起こしてはくれない。
そして、気づいたときには手遅れだ。

悲しいというよりも、私は空しく感じる。
30年以上も一生懸命に働いたその結果が、それだ。

それに被害者の多くは、生きることに前向きではないようだ。
仕事を失い家族と別れた男性は、生きることの貪欲さに欠けているんだ。

精神的に燃えるのではなくて、物理的に燃え朽ちてしまうんだ。
しかし、仕事や家族がなければ、生きる望みがないということ自体が滑稽だ。

所詮、自分以外はすべて他人だ。
妻も他人だし、自分の子どももいつかは別れる他人なんだ。

会社に帰属するのは、給料をもらうためだけなんだ。
だから、仕事や家族を失ったところで、元に戻っただけなんだ。

いい加減、それに気づくんだ!老いぼれのジジイたちよ。
寂しいんじゃなくて、少し穏やかになっただけなんだ。



2007年02月12日

可愛いデブと下品な小枝


当然、リアルタイムになど観てはいないが、
1960年代に活躍したモデルにツィッギーがいる。

小枝のように細いというか、とても華奢な体系のモデルだ。
それとは正反対の体系で有名なのが、あのモンローだ。

どちらも魅力的だとは思うが、
私は断然、モンロー派だ。

日本人が大好きな女優にオードリー・ヘップバーンがいる。
彼女もツィッギー同様、とても華奢な体系だった。

でも、40歳を過ぎて亡くなるまでの彼女は、
ルパン三世の映画に登場したマモーそっくりだった。

あまりに細過ぎて笑い顔の深い皺が、スイカの縦縞のように目立っていたんだ。
観ていて痛々しかった。細い体系は、年を取ると貧乏臭いとしか見えないんだ。

スペインはマドリードの有名ファッションショーから、
5人のモデルが、やせ過ぎを理由に締め出された。

69人中、5人のモデルが、極度に体重が不足していたらしいんだ。
細いモデルに憧れて、拒食症になる若い女性もいると私は聴いた。

どうして細い体系に憧れるのかが、私にはまったく分からないんだ。
たしかにデブは醜いが、過剰に細過ぎるのはもっと醜いんだ。

いつも言うが、私はバカは嫌いだ。でも、バカ以上に下品な奴はもっと嫌いなんだ。
デブはバカに見える。しかし、小枝のように細いのは貧乏臭くて下品に見えるんだ。

なにを目指しているのかは私には分からないが、
下品な女性たちが街に溢れないことを私は望む。



2007年02月11日

歴史を顧みる日とゴロ寝をする日


今日は、2月11日。建国記念の日だ。
それは祝日であって休日とは違うんだ。

私は、祝日にはその日の本来の意味をいつも考えるんだ。
敬老の日であったり体育の日であったり文化の日であったり。

しかし、今では祝日が単なる休日と成り果てているんだ。
サラリーマンの土日と同じ価値しかきっとないと私は思うんだ。

それは、中途半端な国の責任だとしか私には思えないんだ。
敬老の日も体育の日も、今年と来年とでは日にちが違うからだ。

訳の分からないハッピーマンデーとかいう安い制度のために、
祝日の日にちが毎年ふらふらと変わってしまうんだ。

だから、単なるお休みの日としか認知されていないんだ。
本来の意味が無視されているとしか私には思えないんだ。

第2月曜日や第3月曜日にそれを当てはめて3連休にしたところで、
すべてのサラリーマンがハッピーに感じるとは決して思えないんだ。

祝日を日にちではなくて、曜日の方を優先することによって、
なんとなくカレンダーがブレてきたように思えて仕方がないんだ。

敬老の日は9月15日で、体育の日は10月10日だと昔から決まっているんだ。
そして、「暦どおり」に会社や学校を休みにすれば、それが一番いいと私は思う。

祝う日と自宅でゴロ寝をする日とはまったく違うんだ。
本来の意味を顧みる貴重な機会を今は失っていると私は思う。



2007年02月10日

最後に笑ったもん勝ちや


元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎が、5月に“ボクサーの定年”の37歳を迎える。
周囲からは当然のように引退を勧告され、試合の見通しが立たない厳しい状況らしい。

それでもなお、当たり前のように現役であり続ける姿は、なんともかっこいいものだ。
今でも毎朝10キロのロードワークを欠かさず、日曜日以外は2時間のジムワークをこなす。

ボクサーであり続けるために、もう10年以上も1日1食という過酷な食事制限をしている。
「普通の人にはしんどいやろけど、僕は苦痛に感じてない」と辰吉は平然と言い放つ。

すっげぇかっこいいと思う。私は、この記事を読んでいて目に熱いものが込み上げた。
1994年12月、あの薬師寺保栄との世紀の一戦では、私は薬師寺の方を応援した。

辰吉は、試合に負けて引退してもタレントとして食っていけると思ったからだ。
ところが、勝った方の薬師寺はとっくに引退をして車を売ったりテレビに出たりしている。

そして、辰吉は今も現役にこだわり続けている。本当にかっこいい姿だと私は思う。
試合も組んでもらえず、世間に忘れ去られていようが、黙々と練習を続けているんだ。

辰吉が放った「厳しいからこそ面白い。自分の信じた道を進む。自分のしてきたことに、
なにも後悔はしていない。今の方が充実してるよ。最終的に結果を残したもん勝ちや」

そして「最後に笑ったらエエ」という言葉に激しく心を動かされた。し、本当に涙が溢れた。
周りの人間たちはいろいろ言うんだ。しかし、世間がどうであれ、最後に笑ったもん勝ちや!



2007年02月09日

縁起を担ぐバカと自分を担ぐ利口


・キットカット…(きっと勝つ)
・キシリトール・ガム…(きっちり通る)
・ハイレモン…(入れる門)
・カール…(受かーる)
・メントス…(面、通す)


書いていてバカバカしくなってきた。
時期が時期だけに、受験生とその親をターゲットにした菓子の商品名だ。

よくもまぁここまで強引に当て込んだものだと感心はする。
この他にも、まだまだ笑えないものがたくさんあるんだ。

私がこよなく愛すロッテのトッポでさえも、
パッケージを Toppo から Toppa に変えるらしい。

スーパーの店先に積んであった伊予柑のキャッチでさえも、いい予感だ。
そんなに縁起が担ぎたいのかと世間を見下しながら、かなり疲れた。

そんなものに群がる受験生の親子もバカだが、
それを目当てに商売をする企業も、つくづく幼稚なものだと思った。

売れさえすればなんでもOKというその姿が、実にみっともない後姿だと私は思う。
まぁ、商売だから仕方がない、そんなものなのかと思いながら、さらに疲れた。

なまじそんなものを興味本位で買った受験生が合格したりすると、
一生、そんなバカげた縁起を担ぎ続けることになるんだ。

一事が万事だ。たとえ冗談だと笑いながらやったことでも、
それがたまたま上手くいったら、絶対にそうせずにはおられなくなるんだ。

私の娘も受験生で先日、私立高校の受験を済ませた。
そして、来月の中頃には公立高校を受験する予定だが、

そんなバカげた幼稚な縁起など決して担ぐことはあり得ないんだ。
そんなみっともないマネをしてまで高校になど行かなくてもいい。

そう懇々と言ってあるんだ。そして、さらに娘には、どうせ担ぐなら、
縁起を担ぐのではなくて、自分を担げと言い聞かせてあるんだ。



2007年02月08日

決して孵ることのない弁護士の卵


弁護士事務所への就職を希望する司法試験に合格した約2200人の司法修習生のうち、
最悪の場合400~500人が、就職先を確保できない恐れがあるらしい。

思わず腹を抱えて笑ってしまった。
本当に大爆笑して珈琲を噴出した。

日弁連では「このままでは有為な人材を失ってしまう」と懸念して、
企業や官公庁へ採用をするようにと働きかけの強化にも乗り出すらしい。

大バカか。

有為とは、将来大きな仕事をしそうな才能を持っている、という意味だ。
弁護士だろ?弁護士の仕事は、タチの悪い合法的な示談屋なんだ。

その示談交渉を業とする奴らが、自分の就職先も見つけられずに、
また、交渉もできずに、なにが有為なのかさっぱり私には分からない。

そんな奴に、大切な人生を左右するかも知れない訴訟など任せられる訳がない。
情けないだろ。恥ずかしいと思わんか、この能無し!と憤りさえ感じてしまうんだ。

その行為が合法なのかどうかは、本屋に行って調べれば分かることなんだ。
肝心なのは、相手との交渉の駆け引きなんだ。それが弁護士には問われるんだ。

しかし、自分の勤める事務所も見つかりませ~ん、というバカに弁護士である資格は無い。
第一、猫も杓子も弁護士になろうとするな。安易な道に進むのではなく検事になれ!と思う。

ちょっと前までは、弁護士と聴くだけで、
優秀だとかお金持ちだとか思ったものだが、

今では、薄暗い路地にさえもあるローソンとかファミリーマートに思えてしまうんだ。
そこら中に散在して、依頼人の取り合いに必死なイメージしか浮かんでこないんだ。

正直、思いっ切りよく表現して、ピンはね業か殴らないヤクザだ。
それに笑ってしまうほど、一般常識の欠片もない奴らばかりなんだ。

自分の就職先も見つけることができない400~500人の情けない司法修習生どもは、
弁護士として有為であるはずがない。他人の相談に乗る前に自分の無能さを思い知るんだ。



2007年02月07日

盗用と盗作と作曲と作詞


朝日新聞のカメラマンが、他の新聞社の記事を盗用したらしい。
まぁ、解雇されたくらいだから、きっと悪いことなんだとは思う。

しかし、それは盗用だからだ。

盗用とは、他人の所有になるものを無断で使用すること。
と、ヤフー!の辞書に書いてあった。

だから、私は盗作すればいいと思うんだ。まぁ、厳密に言えば、
盗作とは他人の作品をそのまま自分のものとして無断で使うことだが、

個人的には、他人の作品を加工して自分のものとして無断で使うこと。
と、勝手に解釈をしているんだ。だから、盗用と盗作はまったく違うんだ。

この世の中に発明はない。絶対に発明などあり得る訳がないんだ。
あるのは発見だけなんだ。すでにあるものを発見することしかできないんだ。

すでにあるのもを発見して、それを加工することを発明と便宜上、言っているだけなんだ。
だから、この世の中には自分のアタマだけで処理できることなど絶対にあり得ないんだ。

だったら、盗んで加工して勝手に自分のものとすることは、
なんら問題なく、まったく理に適っていることだと私は思う。

他人の所有になるものを無断で使用するだけじゃ、能がないんだ。
加工をするんだ、加工を。考え方のパターンなど数種類しかないんだ。

新聞の記事なんて、内容が似かよることは当たり前なんだ。
他から拝借して、自分の言葉に置き換えてなにかをトッピングすれば、それでOKだ。

元々は、五十音と漢字と数字とアルファベットの並び替えにしか過ぎないんだ。
作曲家は苦労するが、作詞家は並び替えるだけでなんとでも表現はできるはずだ。



2007年02月06日

きっと基本は太郎と花子


ある小学校の卒業アルバムを見せてもらった。
初々しいのは大いに結構だが、その名前に驚愕した。

樹里亜ちゃん、真周人くん、紅利栖ちゃん。
ジュリアにマシュートにクリスと読むらしい。

その子どもたちの親は、本当にバカかと思った。頭の中をのぞいて見たいものだ。
私が「理茶土歯車男(リチャード・ギア男)」と言っているのとなんら変わらないんだ。

その子どもたちは、還暦を過ぎても樹里亜に真周人に紅利栖なんだ。
すっかりバケモノだろ。いくら時代が大きく変わると言っても、

樹里亜ばあちゃんが当たり前になる時代は、絶対に訪れはしない。
たしかに改名をすれば済む話だが、名前は親からの最初のプレゼントなんだ。

それを親自身のエゴでふざけた呼び名にするなど腹の底から言語道断だ。
それに最近目立つのが、漢字の音訓読みにはない呼び方の名前だ。

央美と書いて「しずか」と読む女性がいたが、
1億人に訊いたところで絶対にだれにも読めやしないんだ。

たしかに呼び方は、なんとでも自由に呼び名としてつけられるはずだが、
その子の将来を考えると、本当に私は不憫に思えて仕方がないんだ。

その年に流行った名前というのもバカバカしい話しだ。
テレビドラマの主人公の役名をつけるなど愚の骨頂だ。

私は、だれでも普通に読める名前が一番だと思う。
女の子には「子」がつくのがベストだと思っているんだ。

その名前に個性を押し付けると、その子自体がきっと萎縮して小さくなるんだ。
バカな親が自分の子どもにつまなぬ名前を付けるのは、自分に取り柄がないからなんだ。



2007年02月05日

残業のその理由


大企業の3社に1社は、月100時間以上の残業をする社員がいるらしい。
中央労働委員会が実施した調査の速報で、そんな実態が明らかになったんだ。

残業という概念をなくすホワイトカラー・エグゼンプション制度が議論となっているが、
長時間残業の常態化が見事に浮かび上がった。

しかし、いくら手を尽くしても絶対に残業はなくならないんだ。
それは仕事の量が多いとか、その人に能力がないからという訳ではないんだ。

残業がしたいからだ。

社会人ともなれば、それまでの高校や大学の友人とは確実に疎遠となる。
まず付き合う人たちの多くは、会社関係ばかりなんだ。

その中でも最も多くの時間を一緒に過ごす相手が、同僚だ。
だから、同僚しか話ができる相手がいないんだ。

例えば、学生時代の友人と久し振りに会ったところで、
楽しい時間と感じるのは、せいぜい2時間までなんだ。

それ以降は、話す内容がなくなるんだ。
それだけ自分の毎日は、仕事を中心に回っているんだ。

昔の友人との想い出は、2時間もあれば絶対に語り尽くせる。
それに長く話せば話すほど、大切な友人が鬱陶しくなるはずなんだ。

要は、自分の仕事の専門用語が相手に通じないからだ。
言ってみれば、小学生に話をするのとなんら変わらないんだ。

自分の仕事の専門用語が通じる相手は、きっと職場の同僚しかいないんだ。
だから、少しでも長く楽しい話がしたいと思うもの同志は、必ず残業をするはずだ。

午後5時。ここから元気になる社員は本当に多く存在するはずだ。
しかし、残業をする当の本人もこれにはまったく気づいてはいないんだ。

多くの社員は、無意識のうちに「残業ができるように」と、
お日様が明るいうちは、仕事をゆっくりとやっているはずなんだ。



2007年02月04日

謙譲の罪悪


諸外国からいいように扱われている日本を見ると嘆かわしいが、
それと同じようなことを私たちは日常レベルでやっているんだ。

言いたいけれど一歩下がって言わないことを謙虚とか遠慮と言って、
それが節度ある立派な大人の取るべき態度のように思われている。

特に日本人は、謙譲の美徳を重んじるんだ。そして、
それは決して悪いことではなく、むしろいいことだと私は思う。

しかし、よくよく周りを見渡してふと感じたことは、
言いたいことを言わないのではなくて、言えないんだ。

もっと言えば、言えないから言わないのではなくて、
言うべき答えが見つからないから言えないだけなんだ。

要は、謙虚とか遠慮をしている訳ではない。
考えがまったくないから、言えないだけなんだ。

そう思った。メールで「○○が欲しけりゃ用意するよ」と送ったその答えが、
「○○は本当に素晴らしい商品ですよね」と返って来るケースがほとんどだ。

だから、欲しいのか欲しくないのか一体、どっちなんだ?

二者択一が選べないほどバカなのか、
変に的外れの気を遣っているだけなのか。

どっちにしても本当に迷惑なお話だ。
同じやり取りをまた繰り返さなければならないんだ。

これが本心からの謙虚とか遠慮であっても、
言うべき答えが分からない場合であっても、

相手からすれば、二度と付き合いたくない奴だとしか思えないんだ。
自分をへりくだることは、二者択一が選べないバカと同じということなんだ。



2007年02月03日

あかちょうちんに見る人間の質


私は、今でも2ヶ月に1度は裁判所に行っている。
それは、様々な事件を傍聴をするためだ。

傍聴をするのは、刑事ではなく民事事件だ。
刑事事件では、傍聴席にヤー公が来るので、怖い。

法廷という小さな舞台では、実に様々なドラマが繰り広げられるんだ。
電話代を支払えずに嗚咽する主婦。カード会社からの訴えに俯くサラリーマン。

小さな事件だが、その人にとってみれば奥行きは深いんだ。
しかし、そんな人間模様の中でも最も注視すべき人物が裁判官だ。

実に能がない。たまたま地裁レベルの裁判官だからそうなのか、
基本的に能がない人間が裁判官になるのかは分からない。

しかし、どちらにしても能がない。
随分と前になるが、原告の答弁の内容に裁判官が質問をした。

「あかちょうちんってなんですか?」ってね。
バカか?と思った。飲み屋のあかちょうちんも知らないんだ。

どうせ朝から晩まで勉強ばかりして、ストレートで東大の法学部に入って、
司法試験を2~3回目で合格したメガネのレンズに指紋が着いている奴に違いない。

申し訳ないが、あかちょうちんも知らない奴に大切な人生を預ける訳には行かないんだ。
ま、勝手な憶測だが、この手の奴らは25歳まで童貞だ。見た目とニオイで分かるんだ。

小さな居酒屋で愚痴ったことも、まともな恋愛も、
まともじゃない恋愛もしたことのないバカに人を裁く権利はない。

人を人が裁いてもいいものだろうか?とよく問われるが、
猿が人を裁く訳にもいかないから、人が裁くしかないと私は思う。

ただ、その人の質の問題だけだ。ジョーシキを知らないバカが多過ぎるんだ。
周防正行監督が痴漢の冤罪をテーマにした『それでもボクはやってない』を制作した。

海外のメディアや記者たちが大笑いした映画だ。
これ程までに日本の司法はバカなのか?と思われた作品だ。

いくら裁判制度などのシステムを整えたところで、
それを動かす感情を持つ動物は、人間なんだ。

あかちょうちんを “あかちょうちん” とアタマにインプットするのではなく、
安い居酒屋で仲間と愚痴を言い合ったり、ネギマを喉に詰まらせたり、

若いお姉ちゃんに声をかける奴でなけりゃ、人を裁くことは絶対にできない。
答えは六法の中にあるのではなく、日常の小さな隙間にあるのだと私は思う。



2007年02月02日

明日の身の丈


21年ぶりに日本映画の興行収入が、洋画のそれを抜いた。
そして、公開本数は、33年ぶりに400本を超えた。

その原因は、別に日本映画が面白くなった訳でも、
派手な洋画がつまらなくなった訳でも決してないんだ。

日本映画が昔に戻っただけだ。
日本の代表的な巨匠に黒澤明と小津安二郎の二人がいる。

黒澤は痛快な活劇。小津は家族をテーマにした紙芝居。
見た目には派手な活劇の方が、地味な紙芝居よりもズッと面白い。

それがハリウッド映画だ。
しかし、日本人の中にはそれに馴染まない部分も多々ある。

たしかに黒澤の活劇は、言葉に言い表し難いほど素晴らしい。だが、あれは別格だ。
あのハリウッドの猛者が模倣するレベルの活劇なので、例外としか言いようがない。

私は、日本人がこよなく愛す映画は、小津の紙芝居だと思う。
それを最初に思い出させてくれたのが、伊丹十三監督だと思った。

実に紙芝居だ。痛快に面白い。良質な小品という感じがたまらない。
派手なアクションもなければ、無闇にぶっ放す拳銃も出てこないんだ。

日本映画に拳銃が使われること自体が滑稽で、違和感を感じさせるんだ。
俳句の趣や味が英語では伝わらないのと同様に、わびさびも日本人特有の感性なんだ。

それをないがしろにして、見た目に派手な洋物に染まっていただけなんだ。
海外では一人芝居が受け入れられ難いんだ。間が、理解できないからだ。

小津が描く親と子の絶妙な間。ただ質素な庭を映しただけの静寂な場面。
これはアクション映画しか観ない奴には、まったく理解ができないはずだ。

確実に昔の日本映画の踏襲をここ最近は、感じる。
今までは戦うステージがまったく違っていたんだ。

今は、地味なショットなのに絶妙な間と深い味がある質のよい小品が多いんだ。
海の向こうの見た目に派手なものに憧れたところで、いつかは必ず廃るんだ。

食うものが違えば体格も違う。そして、ものの考え方も感情の起伏のポイントも違うんだ。
昨日の素晴らしいものを取り入れても、身の丈に合ったものしか明日に根付くことはない。



2007年02月01日

メス豚と種無しの駄馬


書こうかどうしようかと、ほんの2~3分だけ悩んだが、
こんなことで悩む方が、自分が損をするだけなので書く。

やたらと世間が騒いでいるつまらない問題なので、
本当は触れたくはない。「女性は産む機械」についてだ。

私にとってはどうでもいい話だし、なんとも思ってはいない。
ただ、それは、男にはできない素晴らしい機能だとは思う。

じゃあ、女性議員が「男は産ませるだけの単なる種馬」と言ったら、
世間の男性たちはどう思うだろうか。100%なんとも思やしない。

バカな女が血迷ったとしか思わない。
突っつくポイントが骨盤のようにズレてんだ。

政治の世界だけに限ったことではないが、
論争するときに相手の揚げ足ばっかを取ろうとするんだ。

バカな日本人は。言葉で闘うことが下手だからね。
本当につくづく平和だと思う。ここまで平和だとヤル気もなくす。

そんなヒマがあるならロシアと北朝鮮をなんとかしろ!と言いたくなる。
こんなおこちゃまたちがいるから諸外国からカモにされるんだ。この能無しが!

それに先日、大嫌いなNHKの国会中継を観ていてゾッとしたが、
あれは国家レベルでたった一人の老人をイジメているとしか映らない。

あれ、教育によくないだろ。

そして、会社の会議でもそうだが、テーマがすり替わるんだ。
だれかの放った一言が、その場のだれかの逆鱗に触れたりしたら、

本来の話し合うべきテーマから、
どうでもいいようなつまらぬものにすり替るんだ。

みんなおこちゃまだから。そんなつまならぬ話は流して、
本来のテーマに戻せる奴が分かっている立派な奴なんだ。

揚げ足を取ったところで、解決すべき本来のテーマは絶対になくなりはしない。
だから、肝心な話し合いをないがしろにして、見栄と欲の突っつき合いをするバカが、

自分のことしか考えていない諸悪の根源なんだ。
今、そんなことをやっている場合じゃないだろ。

たしかに口は災いのモトだが、災いを大きくしているのは周りの連中だ。
本当にアタマのいい奴は、揚げ足など取らずに本題で勝負をするんだ。