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謙譲の罪悪


諸外国からいいように扱われている日本を見ると嘆かわしいが、
それと同じようなことを私たちは日常レベルでやっているんだ。

言いたいけれど一歩下がって言わないことを謙虚とか遠慮と言って、
それが節度ある立派な大人の取るべき態度のように思われている。

特に日本人は、謙譲の美徳を重んじるんだ。そして、
それは決して悪いことではなく、むしろいいことだと私は思う。

しかし、よくよく周りを見渡してふと感じたことは、
言いたいことを言わないのではなくて、言えないんだ。

もっと言えば、言えないから言わないのではなくて、
言うべき答えが見つからないから言えないだけなんだ。

要は、謙虚とか遠慮をしている訳ではない。
考えがまったくないから、言えないだけなんだ。

そう思った。メールで「○○が欲しけりゃ用意するよ」と送ったその答えが、
「○○は本当に素晴らしい商品ですよね」と返って来るケースがほとんどだ。

だから、欲しいのか欲しくないのか一体、どっちなんだ?

二者択一が選べないほどバカなのか、
変に的外れの気を遣っているだけなのか。

どっちにしても本当に迷惑なお話だ。
同じやり取りをまた繰り返さなければならないんだ。

これが本心からの謙虚とか遠慮であっても、
言うべき答えが分からない場合であっても、

相手からすれば、二度と付き合いたくない奴だとしか思えないんだ。
自分をへりくだることは、二者択一が選べないバカと同じということなんだ。

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コメント

「謙譲の美徳」って、ちゃんと使えるとものすごくカッコイイです。でも、それを実践するためには、相手との距離感を適切に把握しないと無理だと思います。

面識のないメールでのやりとりでその距離感が掴めるとは思えません。「杉様」なら「杉様」の人となりを知った上で、発言をする必要があるのでしょう。

その意味で、人とのコミュニケーションをできるだけ取らない、距離感を学ぶ機会をどんどん奪っているこの社会では、「相手を慮る」(こんな漢字なんだ)「相手の意を汲む」「相手を思いやる」などの行為は死に絶えていくのでしょう。

日本の最もすぐれた意思疎通の技が消えていくのは残念ですが、自分でも十分できているとは思えないので、子どもたちに伝えることができません。

自分の気持ちを表現することは怖いことです。相手に受け入れられなかったときのショックは大変なものがあります。そのためにも、数多く体験し、思わぬ反応に出会い、免疫を作る必要があると思います。

社会に出るための訓練として、一番必要な気がしますが、学校で、地域で、家庭でこの機会は失われるばかりのような気がします。

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