なにがあっても自分本位で生きる
自ら命を絶つことは、なにがあっても絶対に許されないことだと私は思う。
しかし、自ら命を絶とうとする人間が私の目の前に現れたとしても、
私は絶対に止めはしない。止めたところで、また繰り返すからだ。
正直、そんな人間に付き合っている暇はない。
止めるとすれば、私の娘たちだけだ。
それ以外に止めることは、絶対にあり得ない。
先日、東京の交番勤務の警官が電車にはねられて亡くなった。
自殺をするために線路に入った女性を助けようとして亡くなった。
当の女性本人は、大けがをしたものの命は助かった。助かってしまった。
亡くなった警官は、30分前に線路に入ったこの女性を保護したのだが、
交番から逃げられ追いかけた結果、こうなってしまった。
本当に、非常に痛ましいとしか言いようがない事件だ。
葬儀の席で奥さんが「立派な人だった」と述べた。
たしかに、間違いなく立派な警官だとは私も思う。
でも、それは警官という仕事の上での功績について、とっても立派だと思うんだ。
本当に語弊があるとは思うのだが、人間として立派だとは決して私は思わない。
私だったら、絶対に助けはしない。
きっと周囲からは非難を浴びて、職を失うかも知れない。
でも、死んだら終わりだ。
間違いなく終わりだ。
川で溺れている子どもを助けない、助けられない大人たちが非難されるケースがあるが、
他人の子どもの犠牲になることを強いる世間の方が間違っていると私は思う。
川に飛び込めば、子どもは助かって大人も無事に川から出られるかも知れないが、
その保証はない。どちらかが助からないかも知れないし、どちらも助からないかも知れない。
例え、溺れているのが愛しい我が子であったとしても、
それがどんな状況でも川に飛び込めばいいというのは間違いだと思う。
川に飛び込むのが勇気ならば、
川に飛び込まないのも勇気だと私は思う。
本当に語弊があるとは思うが、
なにがあっても自分本位で生きることが正解だと思う。
それぞれが、その前提で生きてさえいれば、
立派な仕事と立派な人生の選択は、それぞれができる。
だから、選んだ結果に世間が文句を言うことは絶対に許されない。
その警官は間違いなく立派だが、死んだら終わりだとも私は思った。




コメント
関わるべきか関わらないべきか、自分の領分かそうでないか、
日常生活でも境界を見つけることはとても難しいですよね。
せめてこの場合、起きてしまったのだから、
今後のこの女性の人生の転機となることを望みます。
投稿者: 小岩聖子 | 2007年02月18日 11:08
私も自分本意に生きることに賛成です。
杉様とレベルが違うかもしれませんが、自分が毎日、笑顔で生きられる。幸せだと感じられる生き方をすることが一番大切だと思っています。
だから、もし目の前で明代さんが死にそうで、自分と交替できるなら替わると思います。そのまま、見捨てて、その後の人生を幸せに生きる自信がないから。子ども達なら、ちょっと考えてから、同じことをするでしょう。自分の親なら「ごめんね」と言うだけかもしれない。
それは、誰かのためではなく、あくまでも自分のためにどうしたいかです。生き残った明代さんは、後悔しながら生きていくのかもしれない。それでも、自分が後悔しながら生きていくよりもいいという選択です。
多分、杉様よりも自分は弱いのだろうと思います。人は他人のために生きるのではない。自分のためだけに生きるのです。一人ひとりの人間が本当に自分のために生きようと努力したときに平和と安定した社会が生まれるのだと信じています。
「誰かのために生きています」と平気で言う人より、我儘放題の人の方がいいと思っています。戦争は必ず誰かを救うために行われます。他人のために生きている人は、その見返りを求めます。最終的に自分が幸せになるための手段が「誰かのため」なのです。その見返りを周囲の人間に強制するのです。他人に何かを求めることが不幸の始まりです。
自分勝手な人は、幸せになる道を直球で求めます。叶わなければ、道を変えるか、求め続けるか、いずれにしても本人の選択で決められます。自分で可能なことで幸せになれる人だけが、幸福をつかめるのです。
でも、死んだら全てはお終いです。
投稿者: 猪子恭治 | 2007年02月18日 06:53