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2007年03月31日

美しい不戦勝


メルボルンで行われた世界水泳の男子200メートル平泳ぎでは、
北島康介が2分9秒80の記録を出して見事に金メダルを手にした。

最大のライバルであるアメリカのハンセンは、体調不良で残念ながら欠場した。
だから、北島の優勝はちょっと腑抜けたような書かれ方をある記事に確認した。

私は、バカかと思った。最大のライバルが居ようと居まいと、
手にした金メダルの色も重さもまったく変わりはしないんだ。

前にも言ったとおり、本当の勝負は相手と戦うものではなくて、
自分自身と向き合うものだ。だから、体調不良になった時点で負けなんだ。

競技の日程を知っていながら、その日に体調を整えられなかった時点で、
問答無用の負けに決まっているんだ。だから、北島は立派な金メダルだ。

極端な話、自分以外の全員が食中毒で倒れたとしても、
手にした金メダルは立派な金色をしているに違いないんだ。

理想とする美しい戦い方は、不戦勝で勝ち上がることなんだ。



2007年03月30日

3つの『長いお別れ』


村上春樹の『ロング・グッドバイ』を読み終えた。
非の打ち所のない実に素晴らしい作品だと思った。

これは、レイモンド・チャンドラーの『THE LONG GOODBYE』を訳したものだ。
私は、今までに清水俊二訳の『長いお別れ』を何度となく読んだ。

清水俊二氏が訳した『長いお別れ』も当然、素晴らしいものだが、
村上春樹が訳した『THE LONG GOODBYE』はそれを凌駕する名作だと思う。

原作者のチャンドラーのよさを、訳者がさらに潤いを醸し出させた作品だと思う。
だから、チャンドラーの作品であってチャンドラーの作品ではないという感じだ。

言葉も文章も時代と共に変わるものだと私は思う。
変に頭が固くて古い人間は、それを嫌っているが、

『枕草子』や『日本書紀』を原書のまま読める奴は、そうはいない。
『源氏物語』も瀬戸内寂聴の訳によって、瑞々しく若返ったと思う。

言葉に礼節を欠くことと、時代に沿った言葉を使うこととは、なんら関係はない。
旧仮名遣いの読み難い名作を、現代作家が訳すことに感謝をしたいと私は思った。

時間が掛かってもよいので、チャンドラーの原書と2冊とを読み比べたいとも思った。



2007年03月29日

本当の勝負 ~無益な裁判


私が死ぬまでに一度も経験しないであろうと思う一つに、裁判がある。
こちらから訴えなくとも訴えられる可能性は否めないが、そのときは和解する。

たとえ、こちらにまったく否がなくても、それが明らかに証明できないのであれば、
1時間でも早く和解した方がきっと自分のためだと確信する。

槇原敬之と松本零士が、泥沼のような状態になっているが、
なにを目指しているのかが、私にはまったく分からないんだ。

きっと名誉とかプライドとかの類だと思うが、
裁判で戦って勝ったところで時間は戻らない。

名誉やプライドやお金よりも時間の方が大切だと私は思う。
たとえ、なにも犯していないのに有罪になったとしても、

それはそれとして済ませばいいだけなんだ。
無罪であることを見事に立証してみたところで、

貴重な時間はもう戻らないんだ。ならば、無罪の罪を背負ったまま、
残りの時間を自分のために生き抜いた方が、まだマシだと私は思う。

汚名を着させられたところで、自分が自分を信じていればコトは足りる。
名誉を取り戻したり、賠償金をもらったところで、時間が過ぎるだけだ。

勝負はこの世だと腹の底から分かっている奴は、
勝ち負けなどには一切、興味がないはずなんだ。

裁判とか出世とか、相手があるものはきっと勝負ではないんだ。
いかに自分の時間を確保できるかが、本当の勝負だと私は思う。

どんな奴にも必ず寿命があるんだから。



2007年03月28日

気楽な稼業を捨てる新人


今年の新入社員は「デイトレーダー型」と命名された。常によい待遇、
よい環境、よい仕事を求めて転職をもくろむ傾向があると分析された。

昨日、私が大好きなクレイジーキャッツの植木等さんが亡くなった。
サラリーマンは気楽な稼業だと思わせる役柄を見事に演じ切った名優だと思う。

これほど無責任という言葉が似合う役者も他にはいないと思う。
とにかく無責任な態度で居直ることの素晴らしさを思い知った。

高度成長期におけるモーレツに働くサラリーマン社会の中で、
気楽な稼業と言い放つ役柄は、多くの庶民から共感を呼んだ。

とにかく会社に居続けさえすれば、ちゃんと給料がもらえる日本で、
今年のデイトレーダー型の新人は、なにを目指しているのだろうか。

そんなことをふと思った。



2007年03月27日

北の動物園に見る小さな資本と大きな知恵


北海道旭川市の旭山動物園は、年間入場者数が今年度、
初めて300万人の大台に乗ったと発表した。

昨年度に比べて5割増しの数字となったらしい。
東京の上野動物園が約320万人で相変わらずトップだが、

旭山動物園の入場者数は、それに迫る第2位だ。
名古屋の東山動物園は、第3位に後退した。

動物自体は同じはずなのに。もっと言えば、
上野にはパンダが、東山にはコアラがいるんだ。

それに最も大きな違いは、立地なんだ。
東京、名古屋と旭川では、地の利が大きく違うんだ。

それなのに、パンダもコアラもいなくて人口も少ない田舎町の動物園なのに、
大都会の交通の便に恵まれた周辺人口が多い立派な動物園に優っているんだ。

だから、同じ条件の下で比較をすれば、
3倍以上の差をつけてぶっちぎると私は思う。

動物が、標本ではなく本来の動物らしく動き回っているだけで、
それ見たさに全国から飛行機に乗ってお客は集まってくるんだ。

資本が小さく、地の利も悪く、駒が揃っていなくても勝てる最高のモデルだと思う。
お金持ちの大きな会社が勝ち続ける方法は、パチンコの経営のやり方と同じなんだ。

儲かっているライバル店の隣に、もっと大きい店を出してライバルを潰すやり方だ。
しかし、それでは、今度は別の大きなパチンコ会社に同じようにして潰されるんだ。

小さな資本でも大きな知恵を使いさえすれば、絶対に負けはしない。
大きな資本を持ってしても知恵がないならば、絶対に食われるんだ。

そんなことを、遙か北の動物園の記事を読みながら、私は思った。



2007年03月26日

本当の八百長


大相撲の春場所で千秋楽結びの一番と優勝決定戦を横綱審議委員会が問題視した。
中でも委員長は「熱戦を期待していたが残念。ファンの期待を損ねた」と話した。

私には、それがまったく分からない。

いずれも立ち合いの変化による一瞬のはたき込みで決着がついたんだ。
立派な技で勝ったのに、それが認められないということが分からない。

春場所は、八百長疑惑で揺れた最初の場所だったので、
さらにしっかりとした相撲を取らなければならなかった。

しかし、横綱や大関ともなると胸をぶつけ合って取り組まないと認めてもらえないんだ。
はたき込みで、けたぐりで勝てるのに、わざわざ胸をぶつけないといけないらしいんだ。

それこそ本当の八百長だろ!と私は思う。
シナリオがあるプロレスとなんら変わりはしない。

プロ野球で言えば、ホームランや長打の乱打戦で勝つことを善と考えて、
送りバントやスクイズで確実に点を重ねることを否定するようなものだ。

相手が足を負傷しているなら、そこを狙うのが本当の勝負で、
あえてそれを避けて戦うことなど美談にもなんにもならない。

中途半端なシナリオを描くので、身に覚えのない八百長騒ぎを助長するだけなんだ。
勝負の世界で、潔いことが素晴らしいと思っているバカな連中が諸悪の根源なんだ。



2007年03月25日

頭の中の知識と体で覚えた知恵


午前10時ちょっと前に地震があった。
震源地は石川県の能登の辺りだが、

岐阜でも揺れた。それは大きく揺れたというより長く揺れた。
こんなにも長く揺れたのは、あの阪神大震災以来だと思った。

独自配信のタイマー予約がちょうど終わったときに揺れ始めた。
私は、どうせすぐに治まるだろうと思っていたが、長く揺れた。

私たち家族は、日頃から防災には大いに関心があり、
水や食べ物を防災袋の中に用意はしてあるものの、

いざとなったら、頭の中が真っ白になった。
なにをどうしたらよいのか分からなかった。

私が住む岐阜は、震度が3程度だったが、
それでさえも次の行動に困るほどだった。

ならば、震源地により近い辺りの震度6ともなると、
本当になにをどうしてよいのかが分からないと思う。

防災だけに拘らず、日頃から十二分に心構えを持っていたとしても、
いざとなったら自分が咄嗟にできる行動なんて知れていると思った。

いくら頭の中で学習をしたとしても、体で覚えていなければ、
なにもしていないのと同じことだと今日、つくづくそう思った。

頭の中に詰め込んだ知識など、なにかが起きてからの事後処理にしかきっと使えないんだ。
なにかが起きても大きな被害に遭わないためには、体で覚えるしかないとつくづく思った。



2007年03月24日

6週間後の大事な予定


今から6週間後のゴールデン・ウィーク明けの予定はどうなっているだろうか。
そんなことを今朝の新聞の切抜きを読みながら私は思った。

2009年からは、一般の市民も参加する裁判制度がスタートする。
各地裁が、市民の中から無作為に抽出し、本人に通知をする制度だ。

その初公判の6週間前に、呼び出し状を送るらしいんだ。
私の手帳を開いても、今から6週間後の予定などまったく入ってはいない。

一体、この呼び出し状が届いて予定が狂うと困る人が何人いるのだろうか。
私の場合には、10日後から真っ白だ。それがまともな生活だと私は思う。

1ヶ月先の手帳が真っ黒になって喜んでいる奴に、
まともに仕事ができる奴などきっといないと思う。

家庭だけでなく仕事においても、いつでも急な予定が入る余地がある人こそ、
きっとなんでもテキパキとこなす本当にデキる人なんだと確信している。

裁判所からの呼び出しで、6週間後の予定が潰れると困惑する人は、
おそらくなにをやっても大した成果も上げないそこそこの人だと私は思う。



2007年03月23日

ミッドランドスクエアと名鉄百貨店


今日は、名古屋駅前に完成した超高層ビル「ミッドランドスクエア」に行った。
今月の6日にオープンしたばかりの見上げることができないくらい高いビルだ。

41階と42階にはスカイレストランがあり、多くのオフィスもすでに埋まっている。
地下1階から地上4階までは、高級ブティックやさまざまな珍しい雑貨店が並び、

地上5階には、立派なシネマコンプレックスが入っている。
ビル内の全体は、濃いブラウンの色調で統一されている。

そこで感想だが、おそらく用事がなければ私は二度と行かない。
ルイ・ヴィトンやセリーヌがまったく高級に感じられないんだ。

並んでいる商品は、きっと桁を間違うほど高級だと思うが、
名古屋の土地柄にはきっと似合わない。

高級感を狙ったつもりでも、すべてが中途半端な安物にしか思えないんだ。
だから、名古屋の土地柄にはきっと似合わない。

きっと名古屋には、思いっ切りベタな百貨店が一番お似合いだと私は思う。
とにかくミッドランドスクエアは居心地が悪かった。口直しに名鉄百貨店へと足を運んだ。

いくら財をかけて贅を尽くしてみたところで、
その地の風土までは絶対に変えることはできない。



2007年03月22日

冥王星の大きなお世話


昨年の夏に惑星から降格した冥王星の新しいカテゴリが「準惑星」と決まった。
ま、どうでもいい話だと思うし、心からバカバカしいと私は思う。

立派な大人たちが、遙か彼方のお星様を分類するために、
貴重な時間を割いているんだ。

私からすれば、犬の名前を決めるのとなんら変わりはしない。
ポチやジョンやタロウやジョニーと決めるのとまったく同じだ。

それに冥王星は、惑星から降格されようが今までとまったく変わらない。
地球に住む変わった生き物たちが、自分勝手に決めているだけなんだ。

もっと言えば、太陽系よりも立派な宇宙の遙か彼方で、
地球のことをポチと呼んでいる惑星群があるかも知れない。

自分たちを中心に考えると冥王星は準惑星だが、
冥王星から見れば、こちらが準惑星となるはずだ。

これは自社を中心と考えて、特定の相手方をお客さんと呼ぶのに似ているんだ。
こちらからすれば相手はお客さんでも、相手からすれば、こちらはただの取引先だ。

自分たちを中心に考える人々は、絶えず相手を所有しようとする奴らなんだ。だから、
頭の中が半分腐った連中は、遙か彼方のお星様を自分たちの所有物と思っているんだ。

こちらから見た相手の姿は、あちらから見た自分たちの姿とまったく同じはずなんだ。
しかし、自己中心的な奴らはそれを分かろうともしないし理解する頭も持ってはいない。



2007年03月21日

それは、もう要らない


3日前の日経新聞に、コンビニの出店が鈍化した記事が載っていた。そして今日、
NTTドコモが3月末にポケットベルのサービスを終了するという記事をネットで読んだ。

1968年から続けてきたポケットベルが終幕する。
まだあったの?と思う人もかなりいるはずだと思う。

私は、非常に気分がいいんだ。コンビニの出店鈍化と、
ポケットベルの終幕の記事が同じ時期に載ったからだ。

私は、随分前からコンビニはポケットベルに似ていると言っていた。
存在意義はあるが、時代にまったく合っていない衰退産業だからだ。

双方とももたらす効果は立派だが、もう要らないんだ。
ポケットベルは、ケータイの出現でもう要らないんだ。

コンビニは、島国のいたる所に乱立したのでもう要らないんだ。
そんな当たり前なことなど中学生でも分かるんだ。島国だから。

島国の面積は必ず限られているんだ。あとは台湾に出店するしか手はないはずだ。
先が読めてしまう精神的な疲労よりも、物理的に先がない商売の方が辛いはずだ。

私は、今さえ儲かればいいという商売は絶対にやらない。
少なくとも自分の寿命だけは担保する商売しかやらない。

コンビニの出店が鈍化した記事とポケットベルが終幕する記事を読んで、
改めて自分の考え方が正しかったのだと思うと非常に気分がよくなった。



2007年03月20日

最後は自分で決着をつけるしかない


今日は、長女が受験した高校の合格発表があった。
高校はどこでもよかったが、とにかくホッとした。

私は、改めて受験で得るものはないと痛感した。
それと同様に中学の教師の無知さも思い知った。

娘が受験した高校は、公立の高校で事前の模試では楽勝に受かる高校だった。
しかし、中学の担任は、一つランクを下げた公立高校を受けた方がいいと言った。

その理由は、その高校は女子よりも男子を欲しがっているというお話だった。
それを娘が通う塾の先生に伝えたら「一体、何年前の話なの?」と呆れていた。

通った高校で人生が決まったり変わったりするとは決して思わないが、
決まったり変わったりするキッカケになる可能性は少しはあると思う。

それなのに、あまりに世間を知らないというか、無知過ぎる教師に腹が立った。
教師や警官などが、一般の社会を知らないのはよく理解できる。バカだからだ。

しかし、生徒が進むべき高校の現状を知らないというのは、
冗談でもシャレでもまったくお話にはならない。

受け持った生徒の将来のためを思って言っているのではなくて、
自分たちが無難な仕事をしたいがために言っているだけなんだ。

本当に呆れてものも言えない。しかし、担任一人のせいだけではない。
先生方が揃って、生徒一人一人がどこの学校に受かるのか打ち合わせをしているんだ。

要は、学校ぐるみで無難な方へ無難な方へと矛先を変えているんだ。
それくらいだったら、受けて落ちた方がまだ人生の糧になるはずだと私は思う。

きっと自分の進むべき方向は、身近な担任になど訊くべきものではないんだ。
それにもっと外れたことを言うのが、肉親だ。自分で決着をつけるしかない。



2007年03月19日

おにぎりに見る作られた真実


コンビニのおにぎりを公園のベンチで食べているサラリーマンと、
駐車場に留めた営業車の中で食べているサラリーマンを先日、見た。

どちらも同じようなおにぎりを食べてはいたが、
ベンチで食べる方はお小遣いが残り少ないから、

車の中で食べる方は忙しいからと私には見えた。
しかし、本当のところはきっと一人で食べに行くのが面倒なだけなんだ。

同じコンビニのおにぎりを食べるにしても、シチュエーションを変えるだけで、
まったく事実とは異なるストーリーが勝手にこちら側に生まれてしまうものだ。

だから、簡単なカムフラージュだけで相手をごまかすことなど容易だとそのとき思った。
決して自分は変わる必要などなく、場所や置かれた場面を少しズラすだけでOKなんだ。

私は、ある一つの場面で3人の人間が同じように思ったことが世間の真実だと思っている。
逆に言えば、ウソでもやり方一つで世の中では真実になることは容易なことだと思うんだ。

揺るぎがたい真実や絵に描いたような立派な誠意が世間から評価されるのではなくて、
見せる場所、見られる場面だけが他人の心を動かすのだとおにぎりを見てそう思った。



2007年03月18日

少年の日の焼きついた映像から


今日は、名古屋城の隣に位置する愛知県体育館まで出かけた。
それは、生まれて初めて目の前でプロレスを観戦するためだ。

テレビで観るよりも、会場は以外に小さいものだと思った。
純粋に面白かったし、笑う場面では声を上げて私は笑った。

しかし、一番印象に残ったというか一番嬉しかったことは、
タイガー・ジェット・シンを観たことだ。

「あ、生きていたんだ」と思わず声を漏らしてしまった。
私は、プロレスが大好きだった小学生の頃に随分とシンを観たものだった。

アントニオ猪木との一戦など未だに目に焼きついているんだ。
だから、30年以上も前からヒール(悪役)として活躍をし、今、

還暦を過ぎた今でも、同じように悪役として活躍している姿を観て感動してしまった。
死ぬまで現役を続けることの素晴らしさとか、それに近い感激や感動なんかじゃない。

ただ単純に微笑ましくなんだか嬉しくなってしまった。
チャンネルを回すとカラーテレビの中にいたヒールが、

数十年経った今でも、同じように凶暴な悪役として活躍している姿を目の当たりにすると、
妙にヤル気とか頑張ろうという気になってしまうものだ。ま、きっと私だけだろうけどね。

続けることとか現役にこだわることとかではなくて、
今日は、ただ単純に幼い頃を懐古して嬉しくなった。



2007年03月17日

周辺の環境や雰囲気まで殺す悪しき煙


今日は、愛知県の犬山市にある明治村に家族で出掛けた。
天気にも恵まれて、いつになく気分がよかったはずだが、

ちょっと違和感があった。明治の建物は、とっても重厚で趣があった。
しかし、その風情のある建物の前でタバコを吸う連中が多過ぎたんだ。

たしかに灰皿はベンチの横にあるものの、
今日のような冷たい風が通り抜ける日は、

周辺にタバコのヤニ臭いニオイが飛散するんだ。
私の娘たちは、そこを鼻をつまんで走り抜けた。

アメリカのワシントン連邦地裁は16日、タバコの健康への害が少ないような印象を与える
「ライト」や「低タール」などの表現の禁止を海外にも効力が及ぶとの決定を下した。

要は、アメリカのタバコ会社が「ライト」などの表現を禁じなければ、
「誤ったメッセージと製品を世界に広めることになる」と述べたんだ。

タバコは人間の健康にも害を絶対に及ぼすが、
周りの環境や景観にも確実に害を及ぼすんだ。

刻んだ葉っぱを吸っているバカが死ぬことなど構わないが、
その周辺の人間だけじゃなく雰囲気まで殺してしまうんだ。

目に付いたのは、自分の子どもを隣に座らせて吸っているバカな親だ。
実に多かった。私から見れば殺人未遂犯となんら変わりはしないんだ。

吸うバカもバカだが、それを吸わせるためにわざわざ灰皿をそこに置いておく、
明治村も明治村だと思った。せっかくの重厚な建物にヤニが付着しているんだ。



2007年03月16日

悪いことだと思うなら上手くやれ!


早稲田大学の野球部に所属していた清水勝仁選手が、退部をした。
下手な西武から1000万円ほどの裏金を受け取っていたからだ。

しかし私は、個人的には彼が悪いことをしたなんて思っていない。
たしかに野球憲章に違反すれば、罰せられることは仕方がないが、

今回の事件に限らず、世の中の構造自体がそうなっているからだ。
清水選手は、小さい頃から西武のスカウトと家族ぐるみの付き合いをしていた。

だから、小さい頃からシャブ漬けの状態なんだ。
まったく悪気もなく感覚が麻痺しているだけなんだ。

今回の事件を取り上げるなら、私立高校の越境入学もまったく同じだ。

能がない私立高校が、目をつけた生徒の授業料を免除するどころか、
生活費まで負担をして囲い込むことの方が、もっとひどいことだと私は思う。

さらにひどいのは、それを公立高校でも同じように行っていることだ。
スポーツで優れた中学生は、高校に入る段階でチヤホヤされているんだ。

15歳程度でそのような扱いを受ければ、感覚が麻痺するのは当たり前なんだ。
たまたま野球憲章に違反しただけで、一人の青年の将来が断たれるというなら、

ろくすっぽ授業も受けずに学費を免除された高校生の将来も断てと言いたくなる。
今回は西武が下手なために、たまたま見つかっただけなんだ。もっと上手くやれ!



2007年03月15日

どんな犯罪もみんなで犯せば怖くない


損保10社に行政処分が下った。不払いがあったためだ。そのうちの多くが、
損保社員の勝手な捏造により、保険金を契約者に支払わなかったことらしい。

こうなるとまず100%の損保会社・生保会社などに、
この手の悪事が常習化しているとしか思えない。

話は変わって、おぞましい鹿児島県警の志布志事件だ。
県議会選挙で現金を配ったとして、11名の住民が逮捕されたあれだ。

あの事件は「冤罪」と言われるが、事件の事実そのものが存在しないとされているために、
「冤罪」には当たらないんだ。もっと言えば「冤罪」とすら言えない珍しい出来事なんだ。

この2つの前代未聞のみっともない事件を読んで思ったことは、
損保会社の社員ではなかったら、県警の署員ではなかったら、

立派な犯罪者だということだ。
詐欺や強要、脅迫罪となんら変わりはしないんだ。

しかし、業務の下で「やってしまったこと」の罪は笑ってしまうほど軽い。
組織の傘下の中では、みんなと一緒に行う慣例となってしまっているんだ。

チャップリンの映画『殺人狂時代』の中の有名なセリフを思い出した。
チャップリンが演じる次から次へと女性を殺害した殺人鬼ベルドゥは、

「世界は大量殺人を唯一の目的として破壊兵器を製造している。
それに比べれば、この私など素人に過ぎません」と言い放った。

個人で犯せば大きな罪に問われるが、組織で犯せば闇に葬られると私は思った。



2007年03月14日

売り手の計算と買い手の思惑


東京のお好み焼きチェーン「道とん堀」が、3月末の大阪・道頓堀の進出に合わせて、
商品開発のアドバイザーとして大阪の「おばちゃん」グループを公募すると発表した。

契約金100万円のほか、売り上げに応じた報酬が支払われるらしい。
そして、その応募資格がちょっと面白い。

「大阪のお好み焼きが一番!」と信じる20歳以上の2~4人の女性チームか、
30歳未満の場合には「オカン」と呼べる30歳以上の女性を1人でも含むことが条件だ。

いいですね。そういう柔軟な頭を持った社長は、本当に素晴らしいと思った。
だから、別に大阪の「オカン」が偉いわけでも立派なわけでもなく、

そこに目をつけたお好み焼き屋のオヤジ(社長)の発想が、ご立派だと思った。
できそうで、これがなかなかできない。やれそうで、これがなかなかやれない。

とかく大きな会社は、机の上だけでカシオの電卓を叩きながら採算を考えるが、
消費をするのは末端のオカンとオトンたちなんだ。それがまったく分かっちゃいない。

売り手の計算どおりに買うほど末端の消費者たちは、頭がよくないんだ。
売り手の計算にはついていけないが、買い手の思惑ならよく分かるんだ。



2007年03月13日

言葉にできない ~静かなる殺し屋


マレーシアの保健相が「ハンバーガーは“静かなる殺し屋”だ」とビシッと指摘した。
それは、ファストフードを糖尿病などを引き起こす肥満の元凶とみなしているためで、

酒やタバコと同様にハンバーガーなどの広告禁止を検討しているようだ。
実に痛快で、思いっ切り爽快な気分にさせてくれる大臣だと私は思った。

ま、このままなにも対策を講じなければ、
13年後には国民の12%が糖尿病にかかるというお国柄だが。

それにしても、いくらそれが周知の事実で正しいこととはいえ、
ハンバーガーを“静かなる殺し屋”と言い放つ大臣は立派だと思った。

揚げ足と言葉尻だけを積極的に取り上げる日本では、
確実に命取りになる行為だときっとだれもが思うはずだ。

今、対策を講じなければ数年後、数十年後に確実に困ることとは分かっていても、
バカで身勝手な国民に怯えているだけの、なにも言えない偉い議員ばかりなんだ。

消費税は、絶対に上げるしかないだろ。
もうすでに致命的といえるくらい遅いんだ。

そんな身勝手な環境の中で、あのマクドナルドが好調な今、
ハンバーガーを“静かなる殺し屋”と言える先生はいない。

選挙の票取り合戦しか興味がない先生方は、先に死ぬから構わないんだろうが、
残された者が苦労するのは、目に見えているんだ。逝くならサッサと逝ってくれ。



2007年03月12日

武骨な短足の男は黙ってサッポロビール


「男は黙ってサッポロビール」は、私の大好きなキャッチコピーの一つだ。
そのサッポロビールが、このところ急激に売上げが伸びているらしい。

その理由は、第3のビールの新商品をここ最近、発売したこともあるのだが、
外資から買収提案を受けたことで消費者の“同情買い”が集まったのが一番の理由だ。

これ以上、日本の企業が海外の企業に巣食われるのを阻止するためなんだ。
単に“同情買い”と小バカにするような記事や個人のブログも多々あるが、

言い換えれば、それを漢字四文字にすると“内需拡大”と言うんだ。
自国で生産した商品を自国の中で消費するというまっとうな行為だ。

“同情買い”は、大いに結構なことだと思うし、いい話じゃないかとも思う。
もっともっと同情しまくってサッポロのブランドを守って欲しいと私は思う。

周りから同情されようが、土下座をして物乞いをしようが、
最後まで残ったものが絶対に幸せになると私は信じている。

三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」というCMを今一度、観てみたいものだ。
横文字のキレイなキャッチではなく、武骨な短足の国民らしい宣伝が観たいものだ。



2007年03月11日

異常に低い日本人の自己評価


日経新聞の片隅に「世界に最も良い影響を与えている国は日本とカナダ」とあった。
英国のBBCがまとめた国際世論調査の結果が、この上記の通りなんだ。

世界に好影響や悪影響を与えているかどうかを、27ヶ国の28000人に尋ねて、
その中の54%が日本を好影響の国だと回答したんだ。

たしかに周辺のアジア諸国では、反日感情は根強いものの、
世界レベルではカナダと並んでNO.1の評価を得ている。

どうしてそれをもっと大きな声で言わないのかが、私にはまったく理解できない。
日経新聞の奥のだれの目にも付かないような片隅に、ひっそりとそれは書かれてあった。

周辺のアジア諸国からの歴史問題や批判めいた内容ばかりを報道して、
このような世界レベルでの高い評価を、まったくゴミのようにしか扱っていない。

だから、バカにされてカモにされるんだ。

きっと日本人より他のヨーロッパに住む外国人の方が、
日本のことをよく思っているような気がしてならない。

それは、マスコミがバカだからだ。
諸悪の根源であるマスコミは、自国にとって都合の悪いことしか報道しないために、

ウサギのように素直で牙を抜かれた犬のように従順な日本人は、
私たちはひどい民族なんだと頭の中にすり込まれているはずだ。

無理に誇りを持てとは胸を張れとは言わないまでも、
せめてこの国に生まれたことに感謝ぐらいしてもバチは当たらないと私は思う。



2007年03月10日

水戸黄門を理想とする悪しき社会


水戸黄門の印籠だけで触れ伏せさせる勧善懲悪をよしとする時代から、
悪いものがヒーローとなる時代が数年前までにはあった気がする。

しかし、ここにきて、やっぱり勧善懲悪を推奨する世の中になってきた感じもする。
悪いものがかっこいいと世の中の流れの中では、まずいという気になるかのように。

私は、そのことに違和感を抱かざるを得ない。
たしかに悪い奴が善であるはずはないが、

上から抑え付けるような高圧的な縦社会の風潮を大いに感じるんだ。
「これが正しい生き方です」と言わんばかりの間違った風潮なんだ。

それをカタチにした悪しき集団が、燃えないゴミのような役所等だと私は思う。
バカの一つ覚えというか猿の先ずりみたいに決まった言葉しか喋れない集団だ。

世の中の秩序を守るためには、悪いものがかっこいいとまずいと思っている連中だ。
そんなことをふと感じた。印籠のような紙切れ一枚でコトを勧めようとする集団だ。

水戸黄門とまったく変わりゃしないんだ。
あれは、理不尽で恐ろしい権力者としか私には思えない。

悪いものがヒーローだった昭和の時代の方が、
なんとなく自由だったようなそんな気がする。



2007年03月09日

がんばる気持ち悪い小学生


新聞によると「将来のために今がんばりたい」と考えている小学生は、
北京とソウルで70%を超えるのに対し、日本では48%だった。

それが、日本の小学生は意欲が低いということになるらしい。
私は、実に賢明な小学生だと思うが、いかがなものだろうか。

第一、どうして日中韓の小学生を比較するのかが、私には分からないんだ。
当然、文化の違いもあれば、経済や環境の違いも言い尽くせないほどあるはずだ。

比較をするという行為は、同じ条件の下でないとまったく意味がないんだ。
それに中国は、浜辺に打ち上げられたじんべいざめを助けようとはしない。

日本は、クジラが打ち上げられたら、一生懸命に地域住民が寝ずに見守り、
国家レベルで生きて海へ帰そうとする本当にやさしい民族だと心から思う。

ところが中国は、生きたじんべいざめをみんなで引っ張り上げて食うんだ。
それを頑張ると言うなら、たしかに中国人は頑張って日本人は頑張らない。

所詮、そんな程度のことだと思う。

私は、娘たちには、頑張って上手くいくことなどほとんどないと、
常日頃から言い聞かせている。そして、それは絶対に正しいんだ。

本当に頑張らなきゃいけないときは、人生に、
せいぜい3回くらいしかないはずだとも言っている。

だから、365日ぶっ続けて頑張る薄っ平なバカに、まともな明日はない。
第一、モティベーションの高い小学生など気持ち悪くて見たくもないんだ。



2007年03月08日

腐ってもピンで生きるということ


昨年だけでも69件の懲戒処分があった。
それは、日弁連が会員である弁護士に出した処分だ。

懲戒処分を受ける云々に関しては、まったく興味はない。
思ったことは、国家資格の最高峰である弁護士でさえも、

日弁連という組織の下でないと1円の価値もないということだ。
日弁連に属さない限り、弁護士としての活動が一切、できないんだ。

だから、除名とか退会命令の処分を受けた弁護士は、
弁護士としての活動が一切、できない法律家なんだ。

苦労した末に、超難関の国家試験に見事に合格しても、
たった一人では生きてはいけない寂しい奴らだと思う。

たしかに、国家資格という硬いバリアで守られている立派な仕事だが、
裏を返せば、それだけがんじがらめに拘束されているに過ぎないんだ。

私は、いくら立派な仕事でも、その組織の下でのみ活動できる仕事に、
まったく興味はない。硬いバリアも要らない代わりに拘束もゴメンだ。

しかし、これは決して国家資格の仕事だけに限ったことではないんだ。
床屋にしろクリーニング屋にしろ、組合という組織に属す仕事はみんな同じだ。

自営業でサラリーマンでもないのに、給料ももらっていないのに、
それどころか、会費を支払ってまで厳しく拘束されているだけだ。

限りなく哀れとしか思えないんだ。

法律や規則で組織に属すことを義務付けられた立派な仕事など、私は絶対にやらない。
ピンで生きるということは、単にサラリーマンを辞めるということだけではないんだ。



2007年03月07日

成金と成り上がり


最近、私の周りにも随分とお金持ちが増えた。
きっとだれでもお金持ちになれる時代だと思う。

しかし、お金持ちにも2パターンがあるんだ。
それは、成金と成り上がりだ。

成金とは、貧しい人間がとにかく急にお金だけを握ってしまうことだ。
成り上がりとは、貧しい人間が這いつくばってでも頂点に上りつめることだ。

縁故だろうがなんだろうが、どんな手を使ってでも上りつめる成り上がりに対して、
成金は、理由も理屈も分からないが、たまたま大金を手にしてしまった人間なんだ。

成金と成り上がりは、よく同じような意味合いで使われたりするが、
同じお金持ちでも雲泥の差だと私は思う。まったく異質なものだとも思う。

それは、きっと最終の目的が違うからなんだ。
お金さえあれば満足する人間の果てが成金で、

自分の思い描いた姿にまい進した人間だけが成り上がりとなれるんだ。
最近、腐った成金ではなくて這いつくばった成り上がりが増えてきたような気がする。



2007年03月06日

身に備わっているものにも感謝


長野とトリノの金メダリストで、障害者スキーの第一人者である井口深雪選手が、
今季限りでの引退を表明した。次期バンクーバーでもメダルを期待されていただけに、

突然の引退を惜しむ声は多い。井口選手は、先天性の網膜色素変性症で、
物の動きが多少しか分からない弱視なんだ。

今も「半透明の膜で一枚一枚覆われるように」症状が進んで、
数年後の40歳頃にはまったく見えなくなると宣告されている。

井口選手は決断した。光が尽きる前に、かわいいわが子を1分1秒でも長く見て、
胸に刻んでおきたいんだ。だから、惜しまれつつも、第一線から身を引いたんだ。

この記事を読んで、本当に感動した。
私は、自分の今に置き換えて考えてみた。

子どもの顔を当たり前に見ることができる今に感謝をしたくなった。
井口選手は、数年後には確実に目が見えなくなるんだ。

数年後の失明前に、「少しでも長く、いずれ生まれてくるわが子を見たい」という思いに、
私は涙が出るほど感動した。

そして、見えるという当たり前のことが、当たり前のことではないんだとつくづく感じた。
日頃は気づかない自分の身に備わっているものだけでも、心から感謝したいと私は思った。



2007年03月05日

おふくろさんが泣いている


個人的にはまったく興味などない話だが、
森進一と年老いた作詞家の醜い攻防が続いている。

先日、JASRACに年老いた作詞家が、
自分が作った歌のすべてを歌森進一が歌えないようにと申し出たそうだ。

本当に醜い争いだと思う。
ま、森進一も間違いなく性格は悪い。

あの顔を見れば嫌でも分かる。
しかし、あの老人もまったく同じレベルだ。

例えば「おふくろさん」を一つとっても、すでに国民的な歌だと思う。
それを歌えなくするということは、多くの人が悲しむことになるんだ。

もう著作権など放棄したらどうなんだ?と思うくらいだ。
ここまで浸透したものを今になってなくすという行為は、

本当に歌を愛するものの成す行為とは、とても思い難い。
結局、自分の名誉とか利権にこだわっているだけに過ぎないんだ。

ま、どっちもどっちだと思うが、そのどっちが作ってどっちが歌ったその曲に、
多くの国民が感動していたと思うだけで、こっちが少し哀れに思えてくるんだ。

すでにこれらの曲の主体は、そっちではなく、
こっちの国民レベルに移っていると私は思う。



2007年03月04日

プロを凌駕するど素人


中学校の英語の教師で、英検の準1級を取得している割合は、
およそ4人に1らしい。高校になると全体の半数が取得している。

別に先生方々が、英語など話せなくても、私はまったく構わないと思う。
英語が話せる先生が優秀なのではなく、教え方が上手い先生が優秀なんだ。

これは、別に学校だけのことではなく、ビジネスの世界でも同じことが言えると思う。
その人が、その分野で素晴らしい能力を持っている必要などまったくないと私は思う。

もっと言えば、英語なんてまったく分からない先生でもOKだと思うんだ。
私が高校時代の英語の先生は、まるで漢文でも読んでいるかのようだった。

でも、それで十分だったし、その方がなにを言っているのかが本当によく分かった。
ペラペラ喋る先生もいたが、それは単なるマスターベーションとしか思えなかった。

主役は、生徒なんだ。それをまったく分かっちゃいない。
あなたの楽しい趣味に付き合っているヒマなどないんだ。

と、高校時代の私は思ったものだ。

税金について語るのは、別に税理士でなくてもいいはずなんだ。
むしろ、税理士よりも詳しい経営者の方が世の中には多いんだ。

だから、その仕事を選んだ人は、その分野についてプロじゃない方がいいと思うんだ。
いつまでもど素人でいた方が、絶えず新鮮で、できない人間の気持ちが分かるものだ。



2007年03月03日

安住の地を選択する私の条件


愛知県稲沢市で、下帯姿の男たちが激しくもみ合う国府宮神社の「はだか祭」が行われた。
約15万人の見物客が、盛大な祭りに見入った。この地方では、名物の祭りだ。

がしかし、私はとにかく祭りが嫌いだ。参加することも観ることも。
元々、群れを成すことが生理的に受け付けないせいもあってか、

群集を、しかも、それがふんどし姿だと想像しただけでもゾッとするんだ。
申し訳ないくらいに、その地域の活動には参加したいとは思わないんだ。

それが決して褒められることではないことくらい、分かっている。
でも、とにかく一つの祭りに盛り上がる気にはまったくなれない。

それを成功させるために毎晩、町内の集会所に集まっては、
あれやこれやと話し合う世界が、私の中には欠片もないんだ。

私が住んでいるこの町に、祭りや消防団などの古い慣習がなかったことが、
私にとっては本当に喜ばしいことで、どれだけ有益なことか知れないんだ。

私が、稲沢市の国府宮に住んでいたとしても、
きっとはだか祭になど参加しないだろうと思う。

だから、絶対にその地域には住むことが許されない人間だと思うし、
こちらとて、絶対にそんな場所を安住の地などとは思うはずもない。

私が実家を離れ、今の場所に移り住むときに最も気掛かりだったことが、
この地域に地元の祭りがあるのか、消防団があるのかということだった。

傍から見れば、どうでもいいような些細なことかも知れないが、
この地域に祭りと消防団があれば、メルマガはきっと書けない。



2007年03月02日

救い難いNHKへの支払い義務


NHKへの受信料の支払いを義務付ける放送法の改正が見送られた。
ということは、当然、今現在は支払い義務が発生するはずはないんだ。

受信料=視聴料と思っている人が多いが、
現在の放送法では、まったく関係はない。

だから、税金のような強制力があるはずもないし、番組への対価でもない。
NHKの受信料は、NHKの維持運営のための特殊な負担金なんだ。

しかし、まったくそれが説明されてはいない。
ただ闇雲に払えというばかりだから、みんな払わないんだ。

国営放送が必要なのは当たり前だ。
なくなって欲しいなどとは思わないが、

あまりにもそこに関わる人間たちのレベルが低過ぎるから、
払いたくても払えないでいる善良な人々が多いと私は思う。

第一、天下りの腐った組織に明日はない。
そいつらのために払う気など毛頭ない。

国営放送は、きっと大切なんだとは思うが、
それが今のNHKでなくても別に構わない。

要は、その仕組み自体は必要だが、天下りを筆頭に、
関わる人間たちが魑魅魍魎並みのダニレベルなんだ。

いくら放送法を改正したところで、ネットで様々な番組が楽しめる時代に、
旧式のアタマのNHKが、時代についてこれるとはまったく思えないんだ。

自分の懐しか考えない腐ったハイエナ以下に、
払うお金などただの1円たりとも存在しない。



2007年03月01日

空が見えない異常な景色


東京から岐阜に帰ってきて最初に感じることは、
青い空があるということだ。東京には空がない。

今、JR岐阜駅の西側に、岐阜シティー・タワー43という巨大な複合ビルが建設中だ。
この複合ビルが完成すれば、住居を伴う複合タワーとしては中部圏NO.1の規模となる。

そして、東京にはない青い空が少しばかり見えにくくなるんだ。
せっかくの青い空がコンクリートの塊によって閉ざされてしまうんだ。

なんでも新しいものは、高く高くもっと高く、上へ上へとさらに伸びていく。
まるでそれが、安い権力やつまらぬ見栄の象徴であるかのように伸びていく。

絶対に大地震が起きるのに。いくら倒れないといっても、必ず火は回るのに。
高いビルを見るたびに私は映画『タワーリング・インフェルノ』をいつも思い出す。

どう考えても、消防のはしご車が届かない高い場所に住むことが、
私には自殺行為としか思えないんだ。ま、私は高所恐怖症だけどね。

予想もしない想定外の出来事は必ず起きる。
だから、それを回避することは絶対に難しい。

しかし、1cmでも高い場所に行けば行くほど、危険は確実に増すはずだ。
それなのに、技術と県民の夢を結実させるという名目でビルは建つんだ。

岐阜の人間なんて、ほとんど住むことはないんだ。
おそらく隣の名古屋の裕福な人間が、住むはずだ。

だから、まともな県民は、そんな邪魔なものなど望みはしない。
ビルの隙間から、かすかに見える空など1円の価値もないんだ。

ある特定された一部の人間の権力とお金と見栄のためだけに、
他県の者へ一等地を与え、東京にはない大切な空を失うんだ。

私は、あの建設中のバカでかいビルを見るたびに、いつもゾッとするんだ。
地球上の替え難いスペースを、ただ失っているようにしか私には見えない。



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