私説
アーカイヴス TOPへ 砂漠に水 私説 生きる!技術 ビジ・ハドな一言 全国甘党

« 救い難いNHKへの支払い義務 | メイン | プロを凌駕するど素人 »

安住の地を選択する私の条件


愛知県稲沢市で、下帯姿の男たちが激しくもみ合う国府宮神社の「はだか祭」が行われた。
約15万人の見物客が、盛大な祭りに見入った。この地方では、名物の祭りだ。

がしかし、私はとにかく祭りが嫌いだ。参加することも観ることも。
元々、群れを成すことが生理的に受け付けないせいもあってか、

群集を、しかも、それがふんどし姿だと想像しただけでもゾッとするんだ。
申し訳ないくらいに、その地域の活動には参加したいとは思わないんだ。

それが決して褒められることではないことくらい、分かっている。
でも、とにかく一つの祭りに盛り上がる気にはまったくなれない。

それを成功させるために毎晩、町内の集会所に集まっては、
あれやこれやと話し合う世界が、私の中には欠片もないんだ。

私が住んでいるこの町に、祭りや消防団などの古い慣習がなかったことが、
私にとっては本当に喜ばしいことで、どれだけ有益なことか知れないんだ。

私が、稲沢市の国府宮に住んでいたとしても、
きっとはだか祭になど参加しないだろうと思う。

だから、絶対にその地域には住むことが許されない人間だと思うし、
こちらとて、絶対にそんな場所を安住の地などとは思うはずもない。

私が実家を離れ、今の場所に移り住むときに最も気掛かりだったことが、
この地域に地元の祭りがあるのか、消防団があるのかということだった。

傍から見れば、どうでもいいような些細なことかも知れないが、
この地域に祭りと消防団があれば、メルマガはきっと書けない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.sugiyama-hiromichi-archives.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1362



コメント

岐阜弁で話しかけるな、日常会話は英語でと話す親にとって、子ども世界は学業しかないのでしょう。親の世界はかつて自分が所属した東京と外国が自分の住む世界なのでしょう。

それは、子ども達がゲーム機のバーチャルな世界に逃避するのと何ら変わりはない。

リアルな世界でどれだけ人間関係を作れるかが、生きる力になるのだと思う。リアルな格差社会で真面目な付き合いをするのはしんどい。リアルな世界で非日常を演出させるのが祭だと思う。共に住む地域でお互いに気持ちよく暮らしていくための潤滑材と「祭」が延々と続けられてきたのだと思う。

それを戦後の世代で閉じたところから社会の混乱が始まったような気がする。大人のための今の社会にあった大人の祭(形は全く違ったものでよい)の再構築が必要なのだと思う。

あの甘党ツアーも祭だと思う。自分が自由に表現できる場があるから楽しいのだと思う。

お祭りは大好きだけど人ごみは大嫌いなので名古屋にさえたまにしか行きません。
今住んでいる所は『ドブ掃除』がないので本当にウレシイです。
ドブ掃除を町内でやっている所は、それを共同で行うことによって、
絆が生まれているんでしょうか?なぞです。

私は祭りが好きだ。でも、嫌いな人もいる。それはそれでしかたのないことだ。
でも、絆はある。それでいいと思う。

受け継がれていく伝統のひとつを少しの年月の間、担うことができたと思えた不思議な感覚を味わったことがあります。

その土地への愛着心と誇りを持っている年配の方々との交流や、それを継承していく次世代の人との関わりが、当事者でなかったこともありますが、心地好かったです。

コメントを投稿

(コメントは管理者が承認するまでは表示されません。しばし待たれよ!)

完全日刊@カレンダー

ビジネスにも大いに使える さばくにみず

バックナンバー

ATOM RSS
Powered by Movable Type 3.2-ja-2
assisted by 近代図案
アーカイヴス TOPへ 砂漠に水 私説 生きる!技術 ビジ・ハドな一言 全国甘党
(c) copyright sugiyama-hiromichi-archives.com all rights reserved.